100年ふくしま。

vol.081 美術家 中根秀夫さん

2024/02/02
081 美術家 中根秀夫さん

100-FUKUSHIMA Vol.081

美術家 中根秀夫さん

うつくしいくにのはなし

平日の昼間に訪れた作品展、その写真には、静かで穏やかなまなざしがあった。
震災後の浜の町。
その様子を伺うのは、たとえ地元の人間であっても、少なからず勇気がいる。
そのため、ギャラリーでその作品を目にしたときは、なおさら心から安堵した。
11月の始め、郡山市のトトノエルgallery cafeで開催された、神奈川県在住の美術家、中根秀夫さんの写真と映像の作品展「うつくしいくにのはなしⅢ理想郷(ユートピア)」。
このタイトルの「うつくしいくに」は、中根さんが出会った震災後の福島の浜の町を指す。
2013年に初めて福島を訪れた中根さんは、それ以降、幾度となく、変わりゆく浜の町に通い、想いを寄せてきた。

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「うつくしいくにのはなし」福島県双葉郡楢葉町の前原・山田浜地区/2013年7月撮影
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「私はいわゆる写真家ではありません。美術の作品をつくっていくうえで、写真が必要になりました。本来は色彩画家だと思っていて、撮る景色も色のバランスで見ているのだと思います」
中根秀夫さんは、東京藝術大学日本画科卒業、その後、イギリスの大学院で絵画を学んだ。
帰国後の1996年から美術家として、国内外でのグループ展へ参加、個人としてはペインティングや写真、映像を中心に制作を行っている。
中根さんが初めて福島を訪れたのは、2013年7月。福島県立美術館で東日本大震災復興支援として開催された企画展「若冲が来てくれました プライス・コレクション 江戸絵画の美と生命」を観に行ったことだった。友人と訪れた福島で、せっかく来たのだからと被災地に向かった。
いわき市から国道6号線を北上すると、富岡町付近で線量が高くなり、やむを得ず引き返して降り立ったのが、のちに調べてわかった双葉郡楢葉町にある木戸駅の周辺だった。
「自分で写真にもおさめ、その時の心持ちや様子からこの場所の静かな風景が強く残っています。2015年に常磐線が開通してからは、またそこから町を歩いて見られるかなと思ったことが、浜の町に通うことになった始まりでした」

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081_05 冊子:ちいさなくに/うつくしいくにのはなし
言葉に興味があるという中根さんは、福島の旅を言葉にして残してきた。
当時中根さんが目にした福島の風景、当時のぴりっとした緊張感とともに淡々と綴られている。
「見たものを書きたい、撮りたいと思い、自分が表現をする練習になると思っています」

この町のこれからを、見ていきたい

「初めて見た浜の町、木戸駅の風景が自分の中に残り、堤防ができて変わっていく風景にも興味を持ちました。この町のこれからを確認し、見ていきたいと思いました。行く度に、どのように『復興』というものが進んでいくのか調べ、足を運びました」
中根さんの作品には、「震災の傷」はなく、震災後の町にそこに確かにあった人や暮らしの気配がある。
「震災があって、私自身、作品が作れなかった時期がありました。周りには、震災の影響からすぐに作品ができたという人たちがいる中、自分は作ることすら手が止まっていました。そうしたことも関係して、浜の町に行った時には、どこかに残っている気配を感じながら、シャッターを切っていました」
昨年の春、中根さんは、夜ノ森の町を訪れ、震災で崩れた家屋が取り壊されて、撤去されていくのを目にしてきた。
「一回行って、二回行って、そのうち行かずにはいられなくなっていました。浜の小さな場所が自分にとって大切な場所になっていました。海に堤防ができたら、気持ちも収まるだろうと思っていました。足元にあった水たまりも、次に来た時には舗装がされて、行く度にどんどん景色が変わっていく。その変化がとても気になっていました。富岡町のこれから更地になるであろう学校に桜があったのですが、ショベルカーでなぎ倒されたような状態になっており、うろたえる場面もありました。なくなってしまう風景を、歩いて見ることでその土地の雰囲気や気配を写真に残せるかなと思いました」
浜の方へ行くことは、いつも緊張しながら、気持ちを慣らしていくように出かけていったと振り返る。
「始まりの場所でもある木戸駅、竜田駅に行くことは、緊張せず辿り着けるようになったのですが、そこから震災の名残が深いところ、知らない土地に足を踏み入れてカメラを向けるということには、その土地の人たちに失礼なのではないかと緊張する場面です。その景色に怒りにも似た感情もあり、人の暮らしが戻った場所でも、線量はどのくらいなのかと気にかけている自分がいて、こうした自分のやっていることにもどうなのだろうかという気持ちがでてきます」
2013年から長い間、福島に通っていた中根さんだが、福島に通っていたこと、そこで写真を撮っていたことも表にだすことができなかった。
「作品として初めて発表したのは2021年の東京でのことでした。浜の町を歩く緊張と作品を表に出すことへの躊躇もあり、なかなか発表することができませんでした。作品を発表できないというのは作家としてあまりよくありません。一度表に出せたことでまた福島へ行くイメージが湧いてきました」

081_06 日常
福島の風景と対比する、中根さんの日常としてご自宅の草花の写真

作品展は郡山の希望ケ丘で

東京で作品展を行っていたギャラリーの方から、郡山市のトトノエル gallery cafeを紹介されたのが、今回の作品展の開催につながった。
「福島をテーマに写真や作品を作っていたこともあり、いつか福島で作品を発表したいという気持ちがありましたが、浜の方で展示できるところがまだありませんでした。福島であればどこでも良かったわけではなく、オープンから間もないという写真ギャラリーが、『希望ケ丘』という場所にあり、福島県内の木材を使った復興住宅のモデルとしてギャラリーが建てられたこと、そうした経緯があるこの場所で作品展をやりたいと思いました」
「希望ケ丘」という地名は、全国にもあって戦後に作られた地名なんですよと中根さんが教えてくれた。
中根さんが初めて郡山に訪れたのは、作品展開催の一年前。
東京から郡山がこんなに近いとは知らなかったと話してくれた。
「東京で作品を発表した時、福島の風景に対して好意的に見てもらえたと感じました。今回ここで、浜の町について理解している福島の人たちに見られるということには怖さがありました。私自身、テーマを『うつくしいくにのはなし』としたように、確かに人の暮らしがあったという気配も美しく撮りたいと思ってやってきました。ここで福島の人に伝わらなければ意味がないのです。ただ作品展をやってみて、若い人たちも来てくれて、東京でも福島でも穏やかな気持ちで見てもらえ、反応があったことには、うれしさがあり、私もほっとしています」
小さなギャラリーに、中根さんが見つめてきた時間の流れ、変わりゆくであろう景色が静かに並んでいた。
「人がいた場所でありながら、取り壊され、更地にするしかないという場所があり、日々なくなっていきます。そこにまた新しいものがでてくるまでの間の出来事や景色を、私は感じていたいし残したいと思っています」

081_07 トトノエルギャラリー中庭にて

– – –
中根秀夫
https://hideonakane.com/

2023.11.03 取材
文:yanai 写真:BUN

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