100年ふくしま。

vol.066 川東寿司幸 吉田貴信さん

065 川東寿司幸 吉田貴信さん

100-FUKUSHIMA vol.066

川東寿司幸 吉田貴信さん

通い慣れた寿司店が閉店してしまい、近くでいいところがないか探していた時。
古物屋 時雨 の石井さんが、「我が家は、昔から寿司幸さんですよ」と教えてくれた。
須賀川市にある、江戸前寿司の川東寿司幸。
土曜日の昼に伺うと、駐車場から配達の車がでるところだった。
昼時の店内は和やかで、学生と思われるスタッフが接客してくれた。
漆塗りの桶に盛られたちらし寿司と、大きなお椀でだされるあら汁。
まだ寒い季節。
あら汁の温かさと新鮮な彩りが嬉しく、料理の美味しさはもちろん、スタッフの働きぶりが気持ちよかった。

寿司幸_ちらし寿司
寿司幸_あら汁

商いは人を育てる

「私もまだ50歳で、これからまだまだ学んでいきたいという段階です。30年くらいこの商売をやってきて、昔の先輩方がよく商売は人だと言っていたことが、最近になってしみじみわかるようになってきました。みなさんに生かされているんだと実感しています」
川東寿司幸、二代目の吉田貴信さんは、物心ついたときから、店が遊び場であり、学びの場でもあったといいます。
「私の母は、商人の子どもというのは、お客様、スタッフ、業者さんがいるとき、自分は前に行っていいものか、引いていいものか、そうしたことに小さなアンテナを立てて育っていくので、商いという場は、人を育てるのにすごくいい環境だと話していました」
寿司幸の原点は、創業者で初代のお父様が、今から60年ほど前に寿司職人として東京で学んだ味です。
その味を須賀川に持ち帰ってから50年。当時と変わらない仕込みと味付けで、提供しています。全国的に減少している寿司職人ですが、吉田さんは手仕事を大切にして、食文化としての仕事を次の世代に繋いでいます。
「これまで当店で召し上がっていただいたお客様のお子さんやお孫さんが、新しいお客様になられています。時代を繋いで、またお客様になっていただくことに、うれしい仕事をしているなと感じています」
高校を卒業したら日本料理の修業をしようと考えていた吉田さんは、店が忙しく、スタッフに欠員がでたことで、そのままここで学んでいくことを決めました。
「日本料理を学び、厳しい料理人のなかで揉まれたいと当時は思っていましたが、店の状況が連日忙しく、抜けることができませんでした。それでもやるからにはトップになろうなどと思っていました。しかし、現実に仕事を始めると、同業者の方も精一杯頑張られていて、競争心よりも、お客様に喜んでもらおうと思う気持ちの方が大切だと思うようになりました」
吉田さんは職人として、技術を追求することを今もなお続けています。
「今は新しいものをつくる事と、昔の手仕事に戻していくことを同時にをやっています。こうした一見矛盾するようなことは、やはり人にしかできないことだと思っています」

寿司幸03
寿司幸04

連綿とした人とのつながり

2019年の台風19号。寿司幸のある地域は、甚大な被害に遭いました。
しかし翌日の11時に水が引き始めてからわずか、3時間後には店の復旧作業が始まりました。
「こうした節目となる大きな出来事は、一生忘れることがないと思います。あの時を振り返ると、建築や乾燥業者さん、スタッフも連日連夜手伝いにきてくれ、感謝しかなかったですね。こうした大きな困難を乗り越えながら、今があるのは、あの時、多くの人に助けてもらったからだということを、後生に伝えていかなくてはと感じています」
吉田さんは、多くの人の力がとてもうれしく、なにかドラマでも見ているようで、このままみんなでビルでも建てられるのではないかと思ってしまったと振り返ります。みなさんとの関わりがあったからすぐ飛んできてくれたんですね、と知り合いの方に言われることがありましたが、特段なにかをしてきたつもりはなかったといいます。
「ただ真面目に付き合ってきたつもりでした。逆も同じで、仲間が大変な時には、私も飛んでいくのは当然です。連綿とした人とのつながりが、この世の中なのだろうなと思います」

寿司幸05

一生懸命仕事をさせてもらって、一緒に生きていく

吉田さんは、寿司幸で働くスタッフを「寿司幸メンバー」と呼びます。
現在、10代から50代の寿司幸メンバーと共に働いています。
「スタッフは若い者が多く、この春、進学や新社会人になって寿司幸メンバーを巣立つ者もいます。スタッフには堅苦しい話しはしませんが、仕事に入って来る時、卒業する時には『人間関係がすべてと言ってもいいくらいなので、自分が少し損をするくらいで相手にちょっと得をさせるのがいい。自分がいい思いをしたかったら、そのくらいで毎日を過ごして、相手を大事にしなさい』と伝えています」
例えば、朝少しだけ早く来て、みんなが仕事をしやすいようにする。
ものを運ぶときは、自分が重い方を、相手には軽い方を持ってもらう。
そうした、相手に少し得をさせて大事にすることは、職人たちの仕事がまさにそうなのだといいます。
「いいものを作ろうと思ったら、みんながいい仕事をできるようにするというのが一番の基本です。その先に、どうかたちづいていくかというのが待っています」
寿司幸では、誰かがここで働きたいというとまた次の働き手を連れてくるということがよくあります。そして、一緒に仕事をしながら、後に結婚するメンバーもいます。
「外でのスタッフの仕事、仕出しや宅配でスタッフがどんな働きぶりをしているのか、本人に詳しく聞くことはしませんが、お客様からスタッフの仕事ぶりを褒めて頂くことがあります。これはもう働く子たちに感謝ですね。ここで一緒に仕事をしていくことが決まれば、私はスタッフの親御さんに会い、事故なく、お金を稼げるようにすること。そして、せっかくお会いしたのだから、お金を稼ぐだけではないことも知って欲しいとお伝えしています。なぜここで働くのか、失敗があればみんなで気を付けようと確認し、進学が決まれば一緒に喜び合う、そんなことを学んで巣立って欲しいと思っています」
吉田さんは、ご自身の経験から、仕事が嫌だなと思う時が伸びる時期で、その時が一番成長していたと振り返ります。
「ちょっと責任が出てきたとき、自分に出来ないことを知り始めるのですが、そこでくじければそれまでで、歯を食いしばって修得していった先に、出来るようになるという楽しみが出てきます。それが自分の背中になり、後輩達はその背中を見て学んでいくのです。今うまくいかないという人は、先輩の鑑なのだと思います。だから私は仕事は一生懸命させてもらい、一緒に生きていく、人をつくるということが今の仕事だと思っています」

寿司幸06_吉田さん
吉田貴信さん。「若い頃、この仕事が嫌だなと思っていた時期があります。振り返るとその時が一番伸びていた時期でした。庖丁を持って教えられても出来なくて、その自分の不甲斐なさを乗り越えた時、一番技術が身についていた時でした」

仕事を突き詰める

「寿司を突き詰めるということは、職人たちと江戸、明治、大正初期の手仕事を掘り起こし、近海の魚介類をどう仕込んでいくか、その挑戦を今しているところです。そして、商売では日本全国どこもやっていないサービスを考えるという、突き詰める楽しさがあります」
吉田さんは自分たちの仕事が、地域や社会にとって文化の一翼になっていると感じています。
寿司幸の味は、家族の団らんの中にあり、美味しかったという記憶が、家庭の中の文化のひとつになっていきます。
それは、お客様のご家族が進学や就職で家を離れ、年に数回帰省した際に寿司幸の寿司を食べた時、「こんなにおいしかったっけ」という感想をもつことにも表れています。
この春も、配達から返ってきた寿司桶、食器とともにそうしたお客様から小さな手紙が添えられていました。
「若い職人には、手を離した先には、ご家庭での会話があり、だめだったらだめ、嬉しかったら器の返却とともに手紙を残してくれるくらい、そこで寿司幸の商品が生きているんだよと話しています。この春も、卒業や進学で忘れられない味になりましたという手紙がありました。ただ嬉しいというだけでなく、その人の一生の分岐点に自分たちの寿司があり、家族と一緒に食べた記憶は、その後の支えになるものです。私たちには責任がある、だから心してかかりなさい、ひとの記憶に残っていくようなところで私たちは仕事をしているのだと伝えています」

ご自身では「道半ば」という、吉田さんは、職人としてこれから大きな仕事が待っています。
「これから、私の跡を継ぐ人間をあと複数名つくっていくのが大きく課せられた仕事です。やがて、みなさんにこの人がいてよかったと思って頂ける人になりたいなと思っています。生きて行くには本当に人が必要で、その人たちのために自分がいるのだと思います」

寿司幸07

– – –
川東寿司幸
〒962-0727 福島県須賀川市小作田足原内22-2
0248-79-3218 電話受付8:00 – 21:00
11:00 – 21:00


100年ふくしま 記事への感想を投稿する
※取材対象者への問い合わせフォームではありません。

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です