100年ふくしま。

vol.034 株式会社ツネマツ 常松久義さん

034ツネマツ

100-FUKUSHIMA Vol.034

株式会社ツネマツ 常松久義さん

木は肌触りが心地よい、すばらしい素材

岩瀬郡天栄村は、昔から林業と農業が盛んな地域で、岩瀬松と呼ばれるアカマツの産地でもあります。
その村役場近くに、豊かに緑が生い茂った敷地に、ログハウスが建ち、株式会社ツネマツの事務所と製材工場があります。
創業1937年(昭和12年)、三代目になる代表取締役の常松久義さんは、子どもたちに木に触れる体験をしてもらおうと、同業者グループとともに、全国の子どもたちへ100万個の積み木を定期的に届け、木のおもちゃで遊ぶイベントを開催しています。
「100万個を目標に、現在全国で58万個に達したところです。木は肌触りが心地よい、すばらしい素材だと思います。積み木の感触を、大人になって思い出した時に、小さい頃に育んだものを感じてくれたらと思います」
子どもたちに贈る積み木は、グループメンバーのそれぞれの製材工場ででた端材を加工して作られ、ツネマツの積み木は、空気層が多く、柔らかい針葉樹が使用されています。
お話を伺った、事務所の一室も木のいい香りがし、カラマツを使用した床材からは、足裏にその柔らかさが伝わり、周辺環境に配慮して整備されたツネマツの製材工場、休憩棟、事務所がある敷地には、美しさがあります。
「敷地内の木々は30年は経っているでしょうか。エレガントであるというのが、永遠のテーマですね。工場らしくすることも大事でしょうが、構造物が外に与える影響を考えて、ソフトな印象にしたかったのです。材木屋らしからぬ印象で、期待を裏切るのが、してやったりという楽しみだったりしますね。」
そう楽しそうに笑いました。

常松久義さん
常松久義さん。バンド活動をしていた頃には、郡山で1974年に開催された「ワンステップ・フェスティバル」にも出演されました。

木と向き合う時間

ツネマツは、アカマツを材木として市場に供給したことから始まりました。自分でつくった商品が市場で値づけされ、それが販売価格になっていきます。そのような、自分たちで価格をつけられないという流通システムに疑問を持ち、常松さんは28歳の時に小売を始め、現在は、建築業へと事業を展開してきました。
「子どもの頃から、山が遊び場で、中学生の頃には、先代の社長が材木の調査で山に入る時に手伝うこともあり、親しみがありました。それでも会社を継ぐことには5年ぐらい、腹が決まらずにいました。」
先代の社長であったお父様が亡くなられたのは、常松さんが商学部に通っていた大学2年の時。兄弟と話し合い、常松さんが会社を継ぐことになりました。まだ、木材についての知識もないまま、初めはお母様が会社を切り盛りし、常松さんは、同業者や建設関係者に教えてもらいながら、次第に木が好きになっていったといいます。
「何も知らないまま会社を継ぎ、社員とやっていくのには苦労しました。仕事がわかってきたところで決断せざるを得ないこともありましたね。5年ぐらいは、アルバイトもしていました。学生の頃にギターをやっていたこともあり、郡山にあった会員制のクラブで演奏したりしていました。そのおかげで知り合いもでき、仕事でもお世話になりました。」
初めての仕事は、半年がかりで完成させた、屋根の雄大なアーチが特徴のゲートボール場。当時、常松さんが携わった、屋根を支える本体架構の素材には、国産材で、地元でも安価で手に入りやすい「地産地消」の考え方から杉材を使用。木ダボで止めた梁を格子状に組み、柔らかな曲面が構成されています。
記録写真を見せていただくと、建設途中ながらもうっとりしてしまうほどの優美さがありました。
常松さんは、「木と向き合う時間」が製材の仕事で一番大切なことだといいます。
「50年60年生きてきた原木は、なにかが宿っている感じがします。木を見極め、どうやって挽いて欲しいのかを聞き、性質や木が生えている環境から木取りを決めています。法隆寺の宮大工、西岡常一さんの言葉に『木は山に立っているまま、使いなさい』という言葉があります。木の特性は、産地やどんな環境で山のどの場所に立っていたかで決まり、建物に使われてからも、それぞれの特性が長い時間発揮されていくからです。」

材木置き場

材木と事務所前
お祖父様の時代には、山からの搬出に馬を使い、冬は雪ぞりを使用、次第に機械化が進められていきました。

神々しさと出会う

「いくつになっても、初めて出会う木があることがうれしく、現実に見て触れて思わず感動してしまうことは、これまでにも何度かありました。事務所のカウンターに使っているコウヤマキは、モミ系統ですが、神々しかったです。ヒノキよりも軽いけれど深い香りがして、初めてこういう香りもあるのかと思いました。」
自ら求めないと出会えないのは、人との出会いも一緒だと常松さんはいいます。
「ヒノキのような大きな木には、尊厳を感じます。大きく、良質な木に出会ったら、買いたくなってしまうし、使ってみたくなります。自分で気に入って買って、うまく木取りができたとき、もう二度とでてこないだろうという木に会った時には、手放したくないとも思います。今でも、近所から出た3mほどのケヤキは、まだ恐れ多くてのこぎりが入れられません。これから、必要とするところで使おうと思っていますが、思い入れがでてしまうのも、また木だからでしょう。」
子どもの頃から、思わず触れたくなる、香りを吸い込もうとする、躊躇なくしてみたくなるのもまた、そうした理由からかもしれません。

製材工場にて
奥様と製材工場にて。
奈良県出身でかつて劇団に所属していた奥様のことを、「ものの見る目があり、センスのある人」だといいます。

自分のところで製材した木材で、一軒の家をつくりたい。
もっと正直に、やってみたい。

「人口が減っていく中で、住まいの新築も少なくなるかもしれません。だからこそ、自分のところで製材した木材を使って、一軒の家をつくりたいという気持ちが強まっています。これまで、利益を優先して素材を選んだためにアンバランスに建てられた家を目にすることがあり、ここに自分のところの製材を使ったら、もっと雰囲気や見た目は良くなる、そう思うことが多々ありました。だから、本当にお客様のことを考えた家づくりを、正直にやってみたいと思っています。」
住宅の寿命が30年というのは短すぎる。30年先を見据えた間取りを考え、偏らずに時代に合わせて研究された建材も用いながら、大工の技術を活用すれば、50年や100年ももつ家は十分にできるといいます。
「家づくりは、何に価値を感じて生活するのかを考えること。特殊な建材を使わなくても、いつの時代も変わらずに使える素材の家をつくりたいですね。」
ツネマツでは、これから家を建てたいというお客様へ向け、どんな価値観を持った住まいにしていきたいのかを、具体的に考えていく勉強会も開催しています。
「30年先まで見据えた住まいというと、力んでしまいそうになりますが、あんまり難しく考えない方がいい。できるだけシンプルに。どこででも手に入る素材を建材に用いることなんだと思います。そうした体制ができると、それはそれで、回っていくのだと思うのです。目先の利益を考えるのではなく、製材品が部品として使われて、家全体のかたちになったときに、家の価値が上がれば、お客様の賛同は得られるはずだと思っています。ふつうに木材を使ってあげればいいんです。突出して高価な素材ではありません。こだわり過ぎず、楽に中庸あたりを目指していけば良いのです。」
これまで、材木を市場に出し、材木を商品として売ってきた製材所が今、自分たちだからこそできる家づくりを始めようとしています。

ツネマツの看板

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株式会社ツネマツ
〒962-0511 福島県岩瀬郡天栄村大字白子字家内神26
0248-83-2311

2018.07.05取材
文:yanai 写真:BUN、watanabe


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