100年ふくしま。

vol.030 平田屋 平田清喜さん

030平田屋 平田清喜さん

100-FUKUSHIMA Vol.030

平田屋 平田清喜さん

安積野菓子処 平田屋

明治23年に郡山市清水台で創業した、安積野菓子処「平田屋」。
店に入ると、作業場の小窓から職人たちが、「こんにちは」とこちらをのぞき、大事そうにお菓子を包んでいます。
五代目の平田清喜(せんき)さん。
二代目の娘であった平田さんのお母様は、分家のお菓子屋を営んでいましたが、本家が廃業したことで、平田さんが「平田屋」を守っていくことになりました。
「子どもの頃から、職人になることを自然に考え、そうなるのがいいと思っていました。修行をしたからといって、親父のつくる饅頭を継承できるわけではないです。」
27歳で結婚したときに、店を任されることになりました。
「結婚前の3年ぐらいは、私の仕事を茶の間から親父が見てくれ、指示してくれました。親父が元気な間に、一緒にやれなかったことが残念だったなと思います。ですが、やってみたいと思ったことは、好きなようにやらせてもらったと思っています。」

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平田清喜さん。学生時代に始めた詩吟を今も続けています。
「日本や中国古代の詩人の気持ち、お祝いや教訓など、詩吟には四季折々の楽しみと、勉強があるのがいいです」

大阪での修行時代、
サタデーナイトフィーバーが流行った頃

店を継ぐことを決め、夜学に通いながら大阪での修行を希望したのは、平田さんが高校生の時。
「修行先で、学校に通いながらがんばってこられたのは、少ない給料でも、腹が減っては仕事にならないから、いっぱい食べなさいという社長の信念のもと、従業員のための食堂があり、毎日の食事の心配がなかったのが大きかったです。」
餡を一日中炊くこともあり、時に、先輩がここは見ておくから他を手伝いなさいと、焼きもの、蒸しもの、おはぎ、お赤飯、上生菓子と多くの勉強をさせてくれたといいます。
一方で寂しさもあったという平田さんは、通っていた大学の学園祭で、賑やかな集まりを目にします。
「それが詩吟クラブだと知り、楽しそうでいいなと思って2年から入部しました。これが私の一生につながる出会いになりました。」
同じ頃、修業先に餡づくりを勉強しにきていた洋菓子店の職人に、これからパリに出店するという話を聞き、ヨーロッパへの興味が膨らみます。
「親父にはもっと見識を広げたいと伝え、自分で働いたお金を持って行きました。当時は外国人の労働が難しかったので、まずは語学学校に通い、周遊券でルーブル美術館、夜行列車を使ってマドリード、ゴヤ美術館へ。イタリアボルドーでは、ワイン注ぎのアルバイトをしました」
時代は、今、聞いてもわくわくする、サタデーナイトフィーバーが流行った頃のことです。
地元の人はもちろん、アメリカやブラジル、北欧圏の人といろんな話をして、仕事を紹介してもらうなど、国際色が豊かだったと振り返ります。

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彩りがうれいしい「開拓おこわ」は、平田さんが修業時代に作っていたもの。そしてご自身の商品第一号でもあります。

あの味を追いかけて

「親父は、相当上のレベルの職人だったと思います。もともとパン職人で、飴もひける、饅頭も作れる、クリスマスにはケーキ、正月には餅を作っていました。」
L字に釘を打ち、そこに水飴をかけて、ぶっ切り飴をつくるお父様を、今でも覚えているといいます。
「小さい頃に食べた親父のゆべし饅頭を、今でも追いかけています。あのゆべしが美味しくて、なんとしてもできないのです。」
水は酌に3杯、砂糖を手で3つと作り方を教わりながら、親父の手と自分の手では、量が違うと思ったそうです。
「親父はそれでもいいんだ、一緒でいいと言うのです。熱湯が何℃なのか知りたいけれど、そういうのは目方でなく、勘なんですね。」
修業時代は、材料を計っていた平田さんも、その感覚を身につけた今、子どもたちに伝えるのは、やはり難しいといいます。
「27歳でのれんをもらった時、郡山の菓子業界では一番年下の店主だったと思います。それでも親父と同等の人たちや大きい会社と一緒にやっていくためには、やっぱり材料を良くしないとだめで、それは今もこだわっているところです。」
何種類もある餡なら、一番いい餡を。砂糖はざらめを使うこと。
それは、何種類もの砂糖を置くのは場所をとるからと砂糖屋さんが勧めてくれたことがきっかけでした。
「思い切って、郡山でも使っているところは珍しい、ざらめを使ってみてはどうかと言われ、高価でも、饅頭1個になればそこまでではなく、お客さんが喜ぶなら得なんじゃないか。そうやって家内とやってきたことで、少しずつ年上の旦那衆に近づけているんじゃないかな、と思っています。」
材料表示にある「白双(白双糖)」が、その印です。

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和菓子は、我が子。

平田屋のお菓子、餡のなめらかさやその包み方に、つくるひとの誠実さ、そして作業場の風景が浮かびます。
「近くで和菓子を買えるところは、他にもあるのだと、子どもたちに話しています。それぞれの家庭の団らんに、お菓子があり、それがうちのお菓子だったりする。そこで、うまくない饅頭を食べて、白けさせちゃいけない。例えば、仕事から帰ったお父さんが食事の後、家族に一日を労われ、だされたお菓子を食べて、『あ、うまいな』と思うこと。それがうちの使命なんじゃないか。そのために、気持ちを豊かにして作らないと、いいものはできないのです。」
寂しさや悲しさを感じながらつくる菓子は、どうしても味にでてしまう。
平田さんが「うちの息子」と呼ぶ、征行さんが婿に来たとき、若いふたりに伝えたことです。
「これまで職人として修行をしてきたのだから、新しいことはどんどんやっていい。でも、つくる姿勢は考えていてほしい。つくるのは、我が子と同じくらい大事なものです。それが、今も通じているのか・・・いや、通じていると思いますね。」

桜の季節が早かったこの春は、さくら餅と花見だんご。
お話を伺ったのは、かしわ餅が始まった頃。もう少しすれば、きらきらした水まんじゅうが並ぶだろう。
訪れるたび、小さくもほくほくする、季節の楽しみが並んでいます。

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安積野菓子処 平田屋
清水台本店
郡山市清水台2-6-6  024-932-3499  火曜日
荒池公園前店
郡山市池ノ台14-17  024-921-4194  火曜日

2018.04.23 取材
文:yanai 撮影:BUN


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