郡山全集

菊屋茶舗 高橋洸さん

kikuya

郡山全集|笑顔のおすそわけ

077 菊屋茶舗 高橋洸さん

街中、老舗のお茶屋さん「菊屋茶舗」

暮れがおしせまった冬の日に、街に出向いた。
用事がすみ外に出ると小雪が舞っていた。
信号待ちの交差点の向こうに黄色い旗が見える。
「ありがとう」の黒い大きな文字が冬風を楽しみ、踊っているようだ。
信号が青になった。足は自然に黄色い旗が掲げてある店へと向かう。
小雪をやり過ごしながら店の前にたどりつく。
さあ一息つこう。温かいお茶を飲んでいこう。
「菊屋茶舗」は、この街の老舗のお茶屋さんだ。
お茶の葉や器、茶道具のほかに、温かいお茶や抹茶ソフトクリームなども提供している。
お茶にはおせんべいがついてくるのがうれしい。
お茶屋さんが煎れてくれるお茶のほっとすること、その美味しいこと。
美味しいお茶の向こうにはそれを届ける人がいる。

01
高橋洸さん。
まっすぐな眼差しは、笑うたびに人懐っこいやさしい目になります。高校生の頃の体重はなんと100㎏。
「今は20㎏ぐらい減りました」
スポーツは小さい頃には空手を習い、中学時代は卓球を。年を追うごとにラグビー、アメフトと除々にハードなものへと変化していきます。
お休みの日には、本屋さんへ行くことが楽しみだそうです。
02
03
04
05
06
07
08

父が残したもの

お茶は「ほっ」とする飲みもの
緑茶は「は行」の飲みものなのではないか。
最近、私は確信に近い思いを抱いています。
心も身体もくつろいで、ゆっくりゆっくり
ほどけていく。
緑茶を五感で味わうとき、
口から出るのは「はぁ」「ふぅ」「ほっ」という
言葉にならない心の声。
力がぬけて、やさしくなって
癒やされていくような感覚。

店内に掲げられているこの詩は、先代の社長、高橋徳次さんによるものだ。
長男である高橋洸さんに話を聞いた。
「もう少しで高校3年生になる時、17歳の春に父を亡くしました。9年前のことです。この詩のほかに父が書いた詩はたくさんあってどれも父自身の文字で描かれ残っています」
まだ高校生だった洸さん。進路を明確にする時期のことで洸さんは改めて将来を見据え、大学の経済学部を志望し家業を継ぐことを決心したという。
「父は一緒に居る時間を楽しめる面白い人でした。好きなことをやらせてくれて進路も自分がやりたいことをやれといつも言っていました」 東京の大学を卒業後、京都のお茶の問屋さんで修業を積んだ洸さんが、郡山へ戻り本格的に家業に従事するようになったのは2年前のことだ。
苦しい時、迷う時、そして嬉しい時。どんな時でも父親の残した言葉はありがたい。いつも洸さんの胸の中にあるかけがえのないものだ。

人との繋がりを大切に、ありがとうを届けたい。

2011年3月11日震災の時、洸さんは京都にいました。
大学の卒業式を控え、京都のお茶の問屋さんで働きながら修行を始めた時でした。
震災・原発事故後の刻々と変化していく郡山の状況を遠く離れた京都の地で見守ることしかできなかったといいます。
「京都は四季がはっきりとして自然が美しい所でしたが、仕事は厳しいものでした。平日は工場で、土曜日と日曜日は契約農家の茶畑での作業。休みは無かったです」
台風接近ともなると、朝の4時に連絡がきてお茶の刈り取りをしたり、農家さんに頼まれて住み込みでひと月ほど茶畑の作業を手伝ったこともありました。
2年間の京都時代は苦しかったけれど、それが今の自分を支えていると洸さんはいいます。
「震災後4年が経ち、郡山は新しい街になってきていると感じます。その反面、まだまだ大変な状況が続いています。だからこそこの仕事を通して街の人たちや友だちとの繋がりを大切にしていきたい」
お客さまに喜んでもらえるいいお茶を気持ちを込めてお出しし、ありがとうを届けたいと話してくれました。
決して多くは語らないけれど、思いを語るときの洸さんの目はどこか思い詰めたような光を放ちます。今までのこと、お父さんのこと、聴けば話してくれるだろう事々。何年か先にもう一度聴かせていただけたら、そう思いました。
洸さんの名刺の裏には、お父さんが書かれた詩があります。
題は、「ありがとう」

私は私と出会った人が
笑顔でもっと明るく
幸せになる事が
私がこの世に生まれた
使命だと思います

菊屋茶舗

  • 郡山市大町1-2-21
  • 024-922-0514 024-939-3672
  • AM10:00〜PM18:00
  • 毎週火曜日(臨時休業日あり)
  • 有り

2015.03.05取材 文:kame 撮影:watanabe


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です