
100-FUKUSHIMA vol.091
工場直売のパン屋さん ベルボーイ 山寺伸二さん
気軽に買えて、食べて、満たされるもの
近所に、工場直売のパン屋さんがある。
メニューは食パンから惣菜、菓子パンの種類が豊富で、店内の商品は、時間ごとに減ってゆきながらも、ケースにきれいに並べられ、会計時、いつもスタッフの方が工場から元気に駆けつけて、テキパキと応対してくれる。
朝から車の出入りが多く、午後の早い時間から「半額」ののぼりがたつ。
昼間、出先から寄って帰ろうなどと期待して、夕方に店の前を通れば、早くも「完売」の札がかけられ閉店となっていることがあり、何度も悔しい思いを経験している。
郡山市西の内にある工場直売のパン屋さん、ベルボーイ。
この店を知ったのは、震災後のこと。東日本大震災で物流がストップした頃、「100円パン」を販売する店として知られ、原材料が高騰する現在も、気軽に買えるおいしいパンを作り続けている。


「私の年齢から、あとどれくらいできるのかは分かりませんが、自分の考えを貫き通したいなと思っています」
ベルボーイを運営する有限会社ミッキーチェーンの代表、山寺伸二さん。
パンの卸業として始まったミッキーチェーンは今年で創業42年になります。
「私の考えとしては、毎日忙しくしているお母さんが、食べ盛りの子どもたちに『今日のごはんはパンにしてね』と手軽な1食として、お腹いっぱい食べられるのがパンだと思っています。高級なフルーツやこだわりの食材を使ったものではなくて、いつも子どもにも気軽に買えて安全でおいしい、おなかと気持ちを満たしてくれるものでなければ。そのために、どうすれば安く提供できるのかが私のテーマです」
創業から、製造と地域のスーパーや小売店への卸を専門にしていたミッキーチェーンが、お店をもつことになったきっかけは、2011年の東日本大震災でした。
「震災で物流がストップした時、地域の方から製造しているパンを売って欲しいと声をかけられました。毎日パンを焼く匂いで、近所の方々には工場であることは知られていて、みんなが毎日の食事に困っている時期だったため、喜んでもらえるならと地域の店に商品が並ぶまでの間だけと決め、販売を始めたところ、毎朝6時には店の前に長い行列ができるようになりました。当時ここには工場の設備があるだけで、レジもなく、税込の計算ができなかったので、食パンもサンドイッチもすべて税込100円として販売することにしました」
販売を開始して、2週間がたった頃には物流が再開され、自分たちは役割を終えて、本来の仕事に戻る予定でした。
「販売終了を知ったお客さんからは、どうしてやめてしまうのか、大変な時期に助けてもらって、安くて利益にならなかったのかと声をかけられました。利益がなかったわけではありません。要望もありがたかったのですが、これまで私たちは30年以上地元のメーカーとしてやってきて地域の店に卸すのが専門なのに、自分のところで他店よりも安く販売するわけにはいかないと思いました」
けれど、お客さんにこんなに喜んでもらえているのだから、辞めるわけにはいかないと、社内で話し合い、今後も工場直売の店として続けることを決め、その際に、卸の専門であった社名は使わず、店の名前を持つことにしました。
店名はベルボーイ。ホテルのベルボーイから来ており、訪れたお客様を最初にお迎えする人を意味しています。
山寺さんはあくまでも自分たちは地元のメーカーであることから、マスコミの取材も一切断り、静かに地域のお客さんのために店を続けるつもりだったと話します。
「それが一年も続いてしまったことで、ベルボーイの名前で店を続けていることについて、取引先へ話にいかなくてはならないと思い、スーツを着て、取引先をまわりました。卸と販売の関係から、ルール違反になるなら、取引を断られてもしかたがないと思っていると話しました。すると、すでに『ベルボーイ』の存在は知られていて、今はもう、社名のミッキーチェーンよりもベルボーイがよく知られているから、うちの店でもベルボーイの商品を扱っていくから問題ないよと言ってもらいました。ひとつのスーパーが、ベルボーイのパンコーナーを作ってくれたことで、他の販売店でも扱ってもらえるようになりました。もっと低価格で買いたい方には、西の内のベルボーイに行ってもらえばよいと、販売価格についても了承をいただいたことで、今も店が続いています。30年以上卸でやってきたミッキーチェーンより、一年足らずのベルボーイの名前が有名だということに、戸惑いながらも、今はそれでもよかったかなと思っています」

自衛隊から、パン職人へ
製造管理システムの開発でロスのない、喜ばれるパンづくりを
「高校卒業後は自衛隊に入りましたが、19歳で退職しています。国家公務員で将来も安泰、定年までの計算ができてしまい、それがなんだかつまらないと思いました。私は負けず嫌いで、実務を覚えるのが早く、昇任もして、いわゆる出世コースに入りましたが、負けず嫌いがゆえに、そこでの考えの中にいるよりも、汗を流すひとたちが得をする世の中であってほしいと思いました」
自衛隊をやめ、仙台で会社勤めをしていた21歳の時、山寺さんは宮城県沖地震を経験します。
「交通機関がとまり、職場まで40分歩いて通勤していました。その途中にあるいくつもの電気屋で、普段の3倍以上の値段で乾電池が売られていました。信じられないと思いながらも、みな必要に迫られ、懐中電灯や乾電池を買い求めて、行列を作っていました。自分もそこに並んで電池を買ったのですが、その近くの肉屋では、3つで100円のコロッケを売っていました。そこにも長い列ができており、お客さんが『本当にこの値段でいいのか』と店の人に聞くのですが、店の人は『電気がとまって冷凍庫には入れられない、明日にはゴミになってしまう。ガスのフライヤーは使えます。今はみんなが困っているからこの値段で食べてもらえればいい』そう言って売っていました。人に喜ばれる仕事ってすごいなと強く感じました。半年後、その肉屋は立派な店を構えていましたが、周辺にあった電気屋はなくなっていました。自分も商売をするなら、人に喜ばれなければ仕事にならず、続けていくことができないのだと思った出来事です」
その後、ご自身がパンが好きでよくパン屋にも通っていたことから、パン製造の技術者としてベーカリーの会社に入社しました。山寺さんは、自身の特性である自閉スペクトラム症で、短期間での集中力が非常に高く、自衛隊時代もそうであったように、人が5年かかることに自身は数年で習得できるということを理解しており、パン作りにその特性を生かそうと考えました。
「郡山の会社で、社員はみなパン製造の技術者として採用していました。そこで製造の技術と販売を学び、自分の特性もあって、1年後には店長を任されるようになりました。2年目になった頃、会社の方針で製造の仕組みが変更になったのをきっかけに、独立してやっていくことになりました」


26歳でミッキーチェーンを創業した山寺さんは、郡山市に工場をもち、自らは小売業を行わず、県内で初めてとなる移動販売車をフランチャイズ化するというビジネスを始め、成長していきました。
「当時は一部上場企業を目指して、社名にチェーンと入れたのものそのためです。福島県全域で、主にホテルやペンション、旅館などを中心に販売していました」
その矢先、1992年に工場が火事になり製造がストップしたことで、方向転換を余儀なくされました。
「製造はできず、納品することができなくなりました。取引先に呼ばれ、どうにかして毎日供給できるように手配するよう言われ、各地域のパン屋へ供給のお願いに頭を下げて回りました。相手からは、この先工場が復旧するまでの間に合わせの仕事ならやらないと言われ、今後一切、ホテルやペンションへの営業をしないなら供給するというのが条件でした。同業者としてももっともだと理解し、自分はこれまでの取引先から撤退するという約束をしました」
復旧まで、知り合いのパン製造会社のサポートを受けながら、会社を維持し、卸値を上げずに利幅を確保することを考え始めました。
「効率化を図るために、既成の製造システムを導入することは会社として負担が大きかったため、自分で開発することを考えました。パン屋をやりながら、郡山市内に1校だけあったエンジニアの学校に入学して学び、開発に至りました」
ここでも、山寺さんの集中力が発揮され、わずか1年で独自の生産管理システムを作り上げました。
1992年に開発したこのシステムは、これまで改良が加えられながら、いまだ類似した商品はなく、「この世でたった一つのシステム」だと話します。
「当時は高価だったパソコンでしたが、そのおかげで、毎日必要な材料を数値で管理できるようになり、廃棄することがないのです。従業員の作業にも、1枚の手順表をお渡しするだけです。いつも材料は必要な分だけのため、具材が足りなければ、1個に多く入っており、余れば少なく入っているということになります。『材料は使い切ること』を守ってもらえれば、だれが作業を行っても、ぴったりの量で出来上がり、安定した品質が守られます。業務量もわかるので、作業に必要な分だけ働くことができ、従業員の急な欠勤にも対応を調整することができます。震災後に100円パンができたのも、このシステムがあったからです」
例えばサンドイッチの受注が入った時。あらかじめサンドイッチに必要な材料の量をデータベースに登録、受注量を入力すると、1個つくる時に必要な量、レタス何g、卵何g、きゅうり何枚・・・と数字で表示されます。仕込み量から納品書までの工程に必要な様々な指示書が出力されます。
このシステムができた頃から問い合わせは多かったものの、販売による責任が発生してしまうと、本業のパン屋の仕事ができなくなるため、無料で配布しトラブルがあれば教えてもらい、改良していくという方法がとられています。
産業技術支援を行う研究機関、福島県ハイテクプラザからは、このシステム内で特許が3つ取得できることから、知的財産として守ることをしてほしいと指摘がありました。今後も販売はせず、特許の取得も考えていないことから、自分が開発したことを発表して、記録に残すことで、知的財産を守るという方法を提案されました。山寺さんは、2002年3月(平成14年度)に福島県ハイテクプラザ主催の発表会で、開発内容を公表し、発表内容は文書としてまとめらました。

午後2時から半額、今日のおいしいパンを
「私がアレルギーをもっていることもあり、商品は安心安全であることを強調しています。自分で判断できるパンの生地には、添加物の多いものは使わないと決め、仕入れるものは、メーカーにも安くても添加物の多いものは紹介しないでほしいと頼んでいます。同じグループの店で同じ材料とレシピがあるにも関わらず、あの店はおいしいけれど、こっちの店はおいしくないということがあるのは、その店の責任者の判断によるものです。今日食べればわからないけれど、翌日に硬くなったり、ぱさついてしまうものは失敗作です。それでも値段をつけて売ってしまうか、店に出さないと判断できるか、見た目はわからないけれど、これは店にだしてはいけないと判断できるお店はプライドがあり、おいしいパン屋さんと言われます。何十年も続いているような老舗のパン屋さんは、間違った判断をしていないし、おいしいものを作っていますね」
同じ地域の水、材料で作られたパンでも、おいしさが異なるのは、菌を扱う技術の差だといいます。
「温度管理が不十分だとイースト菌はへそを曲げてしまい、うまく発酵してくれません。菌は1度2度の差でも敏感に反応し、一番いい状態になると、おいしい炭酸ガスとアルコール分などが出て、生地の中の気泡にうまみが詰まります。ここを手荒くしてはぜんぶ失敗作になってしまいます。赤ちゃんを育てるように、いい状態でイースト菌を発酵させるのが、おいしさの一番の秘訣です」

山寺さんご自身は、スチームオーブンで焼いたパンの食感が好きだと話します。
「スチームで焼いたパンは、引きが強くなり、噛んだ時に歯がスッと最後まで入るのではなく、にょきっとした噛みごたえのからうまみが感じられるのです。うどんやそばのようなコシのあるパンがおいしいと思っています。うちのパンは、超強力粉を使い、ほとんどをスチームで焼くので、おいしさがつまった空気の空洞があって、やわらかいけど、歯ごたえがあるのが特長です」
山寺さんは、毎日午前2時からパンを焼き始めます。コロナ以降、ミッキーチェーンでは卸の仕事を縮小し、配達に使っていた時間で店のパンを作っています。昼間はスタッフの方々も製造作業に加わり、明日の仕込みが行われています。
ベルボーイには80種類のパンがあります。8時半に開店、午後2時から半額にして売り切り次第閉店です。
「震災の頃よりも、少しずつ値段は上がってきているのですが、これからも手軽なものとして提供していきたいので、午後2時から半額にしています。せっかく朝早くから焼いたパンをゴミにしたくないですし、食べ盛りの子どもたちや、部活帰りにも、今日焼いたうちのパンを食べて、おいしいなと喜んでくれたらいいなと思っています」

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有限会社ミッキーチェーン
工場直売のパン屋さん ベルボーイ
郡山市西ノ内1丁目19-17
024-954-8215
8:30-17:30
2026.04.15 取材
文:yanai 写真:BUN