100-FUKUSHIMA Vol.079
小沢民芸 小沢 宙さん
三春人形
一瞬の動きを捉えた人形たちに目が離せなくなった。
なんて愛らしいんだろう。
跳ね上がった、着物の袖。淡い色合い。いきいきとした動き。愛嬌を感じる顔つき。
三春町のカフェ遊楽にその人形たちが飾られていた。
「若い頃に見つけて、いいなと思い買い求めました。ここを訪れる方にも観てもらおうと飾っているんです」
店主の石橋さんがこの人形について教えてくれた。
江戸時代に作られ、明治に衰退してしまった三春人形。昭和の時代になり、高柴デコ屋敷の人形師、橋本広吉さんと小沢民芸初代の小沢太郎さんが復元させたという。
ここにある人形は、初代の小沢太郎さんと四代目になる孫の小沢宙さんの作品だ。
ご家族で作っていた人形は、現在、宙さんおひとりで制作している。
三春人形は、江戸時代の三春藩領だった高柴村(現在の福島県郡山市高柴)で作り始められた張子の人形で、歌舞伎や浮世絵を題材とし、文化文政期 (1804~30)頃に最盛を誇り観賞用として作られた。
三春藩が人形を作り始めた当時の藩主、秋田公は、文化面の関心が高く、歌舞伎や都で流行しているものを取り入れていたと言われている。
張子人形は、紙の柔らかさから細やかな表現に優れ、とても軽く仕上がる。色付けにより強度が高くなるため売り歩くのにもちょうどよく、外貨獲得の手段としても活用された。しかし、明治維新により、三春藩がなくなったことで三春人形は廃絶してしまった。
歌舞伎の演目、舞踊が題材であるため、人形たちは太鼓のバチや扇子といった小物を持ち、のびのびとした動きがある。
「三春人形は素朴ながら華やかさがありますね。小沢民芸では、江戸時代に作られていたものを基にデザインを再現しており、歌舞伎の悪役であっても、人形にしてしまうところがおもしろいなと思います」
三春町にある小沢民芸、四代目の小沢宙さんは、ともに人形作りをしていたお祖母さまの重子さんが、着物を解いて作ったという作業着姿で出迎えてくれた。
かつて農家の古い母屋だったという作業場は、土間と囲炉裏がある昔ながらの一軒家だ。
「冬はとても寒いのですが、作業をするには湿気がこもらない昔ながらの家が良いのです。私が小学生のころに父がこの建物を見つけ、工房として『雲香堂(うんこうどう)』と名付けました」
小沢民芸で制作する人形は、歌舞伎を題材にしたものから雛人形、福の神など22種類。和室の茶箪笥には、宙さんが制作の手本にしているという、お祖父さまで初代の小沢太郎さん、お祖母さまの重子さん、お父さまの小太郎さんが作った人形が並んでいる。
三春人形の復元と再興、小沢民芸のはじまり
「初代の小沢太郎は、もともと軍医になる予定でしたが、体を壊したことで学校の教諭になりました。その頃に、学生時代の恩師で、文化財の収集を行っていた高久田脩一先生に『三春人形』を教えてもらったことが、祖父が三春人形と出会うきっかけでした。戦後のことです。こんな人形が三春町にあったことを知り、どのように作られたのか調べ始めました。町内に残っていた人形、木型もとても少なかったそうです。祖父は学者気質で資料を集め研究することに向いていたのだと思います。その後、高柴デコ屋敷、人形師の橋本広吉さんとともに自身も人形を制作しました」
自身で制作するに至るほど、三春人形には心惹かれる魅力があったのだろうと、宙さんは話す。
わずかな資料と作品から模索し復元していった三春人形は、町内はもちろん全国各地のデパートで実演販売された。太郎さんらが大阪のデパートでの実演販売の際、収集家の本出保治郎氏と出会ったことが三春人形の再興につながった。
「この人形なら自宅にたくさんあるから見においでと言われたそうです。地元にも残っていないのにまさかと思って見に行くと、200を越える三春人形がありとても驚いたと聞いています。本出さんは全国各地で三春人形を収集していたそうです」
本出保治郎氏の協力もあり、作品の解説や制作過程についてまとめた太郎さんの著作「三春人形」は、昭和39年に出版された。限定本の装丁には三春人形のレリーフがある。宙さんもまたその本から人形について学んでいる。
「祖父が実際に制作していたのは数年ほどで、父が15、6歳の時に亡くなっており、その後は祖母が制作を引き継ぎました。祖父は祖母にも仕事のものは触れさせなかったため、祖母は見聞きしていたことを頼りに作り続けました。父も大人になってから人形作りをしていましたが、病があり現在は制作を離れています。制作期間でいえば、祖母が一番長く、私が四代目というより4人目と言った方がよいかもしれません」
小沢民芸で作られている三春人形の色合いは、淡くとてもやさしい。聞けば、植物染料を使用しているという。
「藍やくちなし、蘇芳といった植物性の染料を使っています。色の重なりや染める順番を考えたり、扱うには手間もかかりますが、祖父は江戸時代のものを復元することを目的にしていたため、小沢民芸では当時と同じ手法で作り続けています」
人形を作りつづける
子どもの頃から、絵を描いたり作ったりすることが好きだったという宙さんは、高校生の時に人形作りをしていくことを決めた。
「経済的な面もあり、家族から人形作りをやってほしいと言われたことはなく、子どもであっても、仕事には触れさせませんでした。ただ自分も作ることが好きだったので、進路を決める際、祖母と父に仕事を教えてほしいと話しました」
高校卒業後は、京都の伝統工芸を学ぶ専門学校に入学。木彫、仏彫を学び、その後、福島に戻って小沢民芸の仕事をお祖母さまの重子さん、お父さまの小太郎さんから教わっていった。
「作業を教わるといっても、染料を測るにも感覚の部分が多くありました。人形づくりの全体がわかるようになったのは、10年が経った頃です。今でもうまく描けない、もっとこうしたいということが多々あります」
作業場にあるいくつもの引き出しには、人形たちが持つ小道具の材料が収められている。
「1、2か月に制作できるのは、だいたい20体ほどです。年間を通して一定の量を生産できると良いのですが、これからの夏場の時期は、色付けの乾きがわるくなるので、乾燥させている間に、人形たちのパーツや小道具作りをまとめて行います。乾燥しやすい冬は制作のスピードを上げることができます。常に人形たちをここに並べ、訪れる方に選んでいただけるとよいのですが、作業には限りがあるためそうもいきません」
宙さんが人形作りを始めてもうすぐ20年。自分ひとりの作業は、休みも仕事も区別なく続けてきたという。制作の他に、三春人形の復興から太郎さんから続く小沢民芸の仕事についての講演会の依頼もあり、資料を見直し、人に伝えていくのも宙さんの大切な役割だ。
「私たちが作った人形を見て、今もこうして、いいな、かわいいなと言っていただけること、古くからのお客様はもちろん、各地のお客様からのお手紙をいただいたり、祖父が書いた本をどこどこで見つけたと連絡をくれる方がいたりとそれが制作を続ける励みでもあります。ひとりでこつこつ作業することが性に合っていて、これからもずっとこうして作り続けていきたいなと思っています」
この日、外でうぐいすが鳴いていた。
静かな作業場で、太郎さん、重子さん、小太郎さん、そして宙さんが作った人形たちに囲まれるようにして、私たちはお話を伺った。人形それぞれがいいかおで、みんなに見守られていた。
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小沢民芸
訪問の際は、必ずご連絡ください。
福島県田村郡三春町南成田千代川87
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2023.06.19 取材
文:yanai 写真:BUN