100-FUKUSHIMA Vol.078
あかね福祉 水橋洋平さん
数年前、家族の在宅介護を経験した。
在宅で、人ひとりの体をベッドから車椅子に移動させるのが、本当に難しかった。
そう話すと、なぜ移乗用具を使わなかったのかと尋ねられた。
「移乗」という言葉を理解するまで、少し時間がかかった。
そして、「使わなかった」のではなく、それ以前に、移乗するための福祉用具があるということを私は「知らなかった」というのが、本当のところだった。
「遠くへ行きたいと思ったら、車に乗るように、体が動かしにくいと感じたらそれを助けてくれる道具を使おう。そのぐらいに思えばいいんです」
あかね福祉の水橋さんに初めてお会いした時のことだ。
「福祉用具」や「移乗」がもっと日常の近くにあったなら、「難しい」と思う前にできることや気軽さがあるだろう。
そう思う出来事だった。
郡山市安積町に全国で唯一の福祉用具の研修スペース「ふくしまテクニカルエイドセンター」がある。
そこで、初めて「移乗介助」を体験した。
これまで在宅介護の経験はあったが、自分が介助をされたことはなかった。
介助してくれるスタッフの持ち上げますよ、の声かけに、反射的に身構えてしまい、抱えられた瞬間に上半身が圧迫されて苦しい。この苦しさは、介助されて初めて知ったことだった。
「これは介助者に負担のない昔からあるやり方ですが、介助される側はタイミングが合わないと苦しくなります。介助が必要な時、そのための福祉用具を正しく使うことで、互いに快適にしていけることがたくさんあります」
ふくしまテクニカルエイドセンターの運営を行う株式会社あかね福祉の代表、福祉用具師の水橋洋平さん。
福祉機器、介護用品販売を中心に福祉施設の支援に取り組むあかね福祉は、福祉施設をメインにする全国でもめずらしい会社だ。2020年に開設した「ふくしまテクニカルエイドセンター」では、現役の介護スタッフが新しい福祉用具の使い方と介助方法を体験して学んでいる。
「福祉用具や介護ロボは、車を使うのと同じです。用具を使うことで、介護が必要な人は自分でできることがあることを知り、介護スタッフには、体力面からも長く仕事を続けていくことにつながります」
水橋さんがスウェーデン製の移乗リフトを操作して見せてくれた。
天井から吊り下げられたシートをベッドに寝ている人の体の下に滑らせ、ボタンひとつでらくらくとその人をとなりのベッドに移動させた。見た目もスマートなこのリフト。操作する人、介助される人の姿勢からもその機能美が見て取れる。
「介助される側になって、車椅子など用具の使い心地を体験することで、どんな時に不具合を感じ、どんな介助が必要なのか、気づくことが多くあります。これは介護施設だけでなく、在宅でも互いが快適さを考え、実践することで、介護が必要な方はもちろん、介護に関わるみんながよく生きる幸せにつながっていくと思います」
あかね福祉のはじまり、自分らしい生活のために
あかね福祉は、今から40年近く前、水橋さんのお父様で現会長の水橋一嘉さんのボランティア活動から始まった。
「父は学生の頃から、福祉施設の環境整備や釣りなどアウトドアが得意だったことから施設が主催するキャンプのイベントに参加していました。その中で施設の生活を通し、いずれ自分も経験する高齢社会で、どうすれば最期までその人らしい生活が送れるのかを考えるようになりました。それが、あかね福祉の原点です」
会長の水橋一嘉さんは、当時仙台市に暮らし、「養老院」と言われた老人ホームでの生活は入院生活に近く、時間割で組まれた生活は、自分が将来に望むものではなかったと振り返る。社会人になってからも、福祉施設やNPO法人との関わりを持ち、次第に日本の福祉を変えたいと思うようになった。そして、自分で食べたい時に食べる食事と、時間通りに口に入れられる食事はまったくおいしさが異なるもの。どれだけ自分の意志を持って生活できるか、それが「その人らしい生活」だと話す。
「私は小さい頃から、身近に障がいをもつ方々がいたことで、この会社で働くことに特別意識したことはなく、自然に考えられることでした。子どもの頃に父に連れられ、障がい者施設に遊びに行っていたことで、体の変形や使い方が自分とは異なる方々の生活を知りました」
水橋さんが、あかね福祉の役割を理解したのは、営業として施設に伺うようになった時だった。
「宮城県の営業所に所属し、まだ右も左もわからない頃でしたが、介護スタッフの大変さがあり、利用者さんにも喜びが感じられず、これが課題だとわかりました。地域のほとんどの施設が似たような状況にあり、様々な要因から簡単には変えられないことでもありました。変えていきたいという思いと現実との葛藤があります。ただ目の前で困っている人がいて、それをなんとかしようとしてきたのが、あかね福祉です。介護スタッフと利用者さんがともに喜びを感じてもらうことで解決していくのが、私たちの仕事だと思っています」
70年代から続く介助方法には、人力で行う場面が多いため、介護の仕事は重労働と言われてきた。これからは、介護スタッフの体力的な負担をできるだけ減らし、利用者にも意志を持って自分らしい生活を送ってもらい、介護スタッフのやりがいと利用者の生きがいが両立できたら、それが現場の人手不足や離職防止にもつながるはず。そこで、創業時から福祉用具を取り扱ってきたあかね福祉では、福祉用具を正しく使ってもらうことで介護の仕事を助け、利用者の自立につなげようと、施設へ用具の導入を促し、使い方を学ぶ場の提供、開発に力を注いできた。
「日本では半世紀近く前から、福祉用具が輸入され、今では国内メーカーもありますが、まだまだ知られておらず、あっても正しく使われていないなど、効果が発揮できていません。用具を使えば、みんなが幸せになれる。そのことを多くの人に知ってもらいたいと思っています」
支え合って、日本の福祉を変えていく
あかね福祉には、「定年80歳・みんなの会社」を目指すルールブックがある。
「あかね福祉ができた20年前は『高齢化社会』と言われ、今は『高齢社会』になりました。人口統計上これからもっと高齢者は増え、今から生産人口を増やせたとしても、20年はかかります。その間自分たちは年金で生活ができるかというと難しいです。そこから、自分たちはまず定年80歳の会社を目指していこうということになりました。会社を存続させて、働き続けるには、雇用する、される関係ではなく、『みんなの会社』として、みんなが経営に関わって会社をつくっていくことが必要でした」
『みんなの会社』を目指す背景には、あかね福祉が社屋を持つ際、当時の10数名の社員たちと会社の土地を分割して購入するのはどうかという話があったことだ。
創業からこれまで、社員の子どもが入社するなど、あかね福祉の考えに賛同する多くの人たちに支えられてきた。
「自分の会社だと思うと、一生懸命働き、会社のものも大切に思えてきます。今、施設の支援として行っている、福祉用具の普及は、自分たちがここで働き続けるためでもあります。福祉用具のスキルを学び身につけることで、年を重ねてからも福祉に関わっていくことができる、そう考えています」
福祉用具のスキルを身につけていくことは、施設の支援はもちろん、福祉の現場を支え続けることにつながる。
あかね福祉には福祉用具師という、社内独自の資格がある。研修で、福祉用具を自身で使い、確かめ、状況に合わせた使い方を理解した上で、施設の困りごとに対し、複数の用具を組み合わせて業務の改善に反映させていく。施設職員や介護スタッフへのレクチャーも行い、利用者が直接使う車椅子や杖などの用具は、ご本人の状況に合わせて何度もフィッティングとメンテナンスに通う。福祉用具自体の寿命は長いものの、それを使用する方の体の具合には変化があるため、その都度、適切なメンテナンスを行うことで性能が発揮される。
「私個人の考えでは、福祉施設もサービス業だと思っていて、サービスを受ける中心には利用者さんがいます。施設運営の面で効率化が重視される中、介護スタッフの方々に楽しく働いてもらってこそ、利用者さんの暮らしが楽しくなるのだと思います。利用者さんは諦めることなく自分の力で生活し、働く側は人の役に立ちたいと選んだ仕事に誇りを持ちつづけ、用具を使って、お互いの生き方に喜びを増やしてほしいと思います」
福祉用具を使うことは、介護スタッフが利用者に仕事を助けてもらうことでもあり、互いが支え合う関係とも言える。
10年前に、現場で働く介護スタッフの声から開発し、改良を重ねてきた移乗介護ロボの注文が少しずつ動き始めてきた。
「日本の福祉を変えていきたいと、省庁や団体へ掛け合うことも幾度となく行ってきました。これまでの道のりも長く、けれどこれから変えていけることが必ずあります」
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株式会社あかね福祉
https://www.akane-fukushi.co.jp/
福島県郡山市安積町荒井字雷神16-1
024-937-5022
2023.01.10 取材
文:yanai 写真:BUN