郡山全集

民芸くらふと和久屋 渡辺智己さん

2012/03/29

wakuya

郡山全集|笑顔のおすそわけ

066 民芸くらふと和久屋 渡辺智己さん

民芸くらふと和久屋、一枚の写真

2月の冬晴れの日に、安積国造神社へ続く表参道、石畳の小道を歩いた。
参道入り口に鳥居がそびえ立つ。そのすぐ側にたたずむ「民芸くらふと和久屋」。ショーウインドーに優しげな顔のお雛様が並んでいた。ああもうすぐ雛祭りなんだと桃の節句に思いをはせる。通りを行き交う人たちに季節を知らせてくれる店主の心づかいを思う。
民芸くらふと和久屋は、主に「ふくしま」で昔から親しまれてきた民芸品や小物を置いている「和」の雑貨、お土産屋さんだ。
からりと戸を開けると心躍る楽しい光景が目の前に広がる。
三春や会津の張り子、土鈴などの干支物、白河だるまや起き上がり小法子などの縁起物。正絹の古布や会津木綿、和紙千代紙。こまや竹とんぼ、けん玉、お手玉、紙風船まである。
凧や羽子板と一緒に飾ってある古い一枚の写真が目にとまった。
木造の二階建ての建物で黒く美しい瓦屋根が印象的だ。「和久屋」の看板の他に入り口には二つの暖簾がかけられている。一つは「民芸くらふと和久屋」」、もう一つは「そば処薮久」。二階の窓を部屋の灯りが照らしている。眺めていると当時の賑やかな人の営みが伝わり、次第になつかしい思いに包まれていく。

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渡辺智己さん。中学3年生の頃に同級生数人とバンドを組んでいたそうです。
「私はベースギターをやっていました。ニューウェーブやハードロックなどのいろんなジャンルを楽しんでいましたね。パンクの遠藤みちろうさんの曲にも夢中になったなあ」
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「和久屋」の息子として育って

和久屋は、代々受け継がれた旅館だったんですよ。私の両親の代で1975年に母親が民芸品のお土産屋さんを始めました。それから父親がそば屋を開いて、この写真は旅館と土産屋とそば屋の3つの商売をやっている時のものです。私が小学校2年生頃だったかな。倉庫だった所に砂利を敷いて、だんだんお店に変わっていくのを見ていたのを覚えています」
「和久屋」の看板は100年前のものだという。和久屋を継いで12代目の渡辺智己さんが、写真を見ながらそう話してくれた。
渡辺さんは、小さい頃から「和久屋の息子」として育った。学校の先生などが自分に期待しているのがなんとなくわかっていたという。
「人からは、いろんなことができそうに見られていたんでしょうね。けれどそうではなくて実際は気持ちが追いついていかない。私は内向的で爪噛みがやまないような子どもでした」
やがて受験を迎え、大学は社会福祉学科を選んだ。
「家業とは全く関係ない資格をとれば跡を継がなくてもいいかと考えたのです。今思えば、屋号や歴史から逃げたかったのかもしれないな」
大学卒業後は、東京の病院で医療ソーシャルワーカーとして4年ほど勤めた。その後、社会福祉士の資格を取り、地元に戻り3年ほど病院に勤務する。
「結婚もして落ちついたように見えた頃、当時の上司と話をしている中で、あ、この仕事は自分には向いていない、そうわかってしまったのです」

専業育児の中で気づいたこと

「それから大変な思いで病院をやめました。ちょうど前の年に長男が産まれていて私の奥さんが仕事に復帰し私が育児をすることに。今だったらイクメンですね。当時はそんな言葉もなくめずらしかった。自分には弱いところがある。けれどもこうして子どもを育てている。家事はそんなに得意ではないけれど意外にマメなところもある。もしかしたら向いているんじゃないか、今までの自分は本物じゃなかったのかもしれない。そう気がついたのです。離乳食が始まった半年位の間でしたけど自分をとり戻せたような気がします。子どもとふたりでずっと家の中で奥さんの帰りを待つという、巣ごもりのような生活でしたが楽しかったなあ。それからまもなくですね、和久屋で働くようになったのは。親の教えを受けながら始めはパートとして一日4時間位からスタートしました。今でも時々あの頃のことを思い出します」

郡山で生きていくということ

「今年は、人にあげたくなるものをそろえていきたい。小さなものでも、あ、これ誰かにあげたいと手に取ってもらえたら嬉しいです。お客さまが、いいなと思った感動を誰かと共有したいと思うようなものを置きたいですね」
例えば、香りのついている栞。本を開いたときにほのかな香りを感じる幸せ。楽しい、かわいい、きれいと思う気持ちを人と分かち合いたい。渡辺さん自身、そんなささやかな思いを大事にしていきたいという。

もうすぐ震災から1年になります。
「震災当日は雪の中、みんなで固まってビルが揺れるのを見ていました。大事なものを失うかもしれないという不安にかられ、何かを失うとはこんなにも恐ろしいものかとあの時はじめて知りました」
これから先、郡山で暮らしていくということは、いろいろなリスクとどう向き合ってどう生きていくか、という哲学のようなものだと渡辺さんはいいます。
「こうすればいいと言われる事ひとつひとつにきちんと向き合い、自分で考えながら前に進みたいですね」
渡辺さんは震災後、昔の和久屋を知っている人が、郡山を心配して何十年ぶりかで立ち寄ってくれたと嬉しそうに教えてくれました。
「あの時は昔話に花が咲きましたね。店に来たお客さんと何気ない話をする事もあります。今、息子を駅に送ってきたところでね、とか声をかけてくる。ああこの人は今、息子さんと別れてきて寂しいだろうなって。この人の思いを何かひとつでも聞いてあげられたらいいなって思う。そんな時、町中でお店をやっていて良かったなって温かい気持ちになります」
優しい顔で笑みを浮かべながら穏やかに話す渡辺さんです。

民芸くらふと和久屋

  • 郡山市中町10-14
  • 024-922-1250
  • AM10:00〜PM18:00
  • 火曜日

2012.02.24取材 文:kame 撮影:watanabe

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