郡山全集|支え合う日々
058 お天気・屋 菅沼ともえさん
「お天気・屋」へようこそ
今から20数年前、現在の場所に移る前の「お天気・屋」に何度か行ったことがある。年下の友人にすすめられ初めて訪れた時に、こんなに楽しくてワクワクする店が郡山にもあるのか、そう思った。洋服や雑貨のセレクトショップがまだ今のように多くなかった頃のことだ。
「お天気・屋は、実は作ることから始めたお店なんですよ」
店主の菅沼ともえさんが柔らかな声で話してくれた。
「初めは自分が作るオリジナルの洋服がメインで、土くさいぬくもりのある雑貨も置いていました。当時は今の半分のスペースでしたがバイタリティーは充分にあって、オリジナルのスカートが売れてしまうと徹夜でかわりのものを縫って翌日お店に並べる、ということを一人でやっていたんですよ」
そんな日々を繰り返す中で、作ることと売ることを並行させていくのは、簡単なことではないことに気づいた。その後、知人のアドバイスを受けながら仕入れに気持ちを込める日々を送るようになる。
やがてアジアやヨーロッパを歩き、手作りのあたたかみが残る洋服や布・雑貨、異国の風や光が感じられる飾り物などを買い付けてお店に置くようになった。
「私自身、日々の暮らしを工夫して気持ちよく過ごすのが好きなんですよ。暮らしを楽しませてくれるものならジャンルも国も問わないですね。時代の流れには柔軟に向かい合いながら、こだわるところとのバランスを大事にしたいですね」
お店は1985年にオープン、18年後の2003年3月に現在の場所に移転してから7年目の春を迎える。
仕立て屋さんにもらうはぎれ布が宝物だった少女の頃
「子どもの頃から作ることが好きでした。家のすぐ近くに仕立て屋さんがあって母にくっついてよく行っていたんです。母の洋服を仕立てたあまり布でスカートを作ってもらったり、そのはぎれ布をいただいたり。それでリカちゃん人形のお洋服を作るのが楽しみでした。レースとかチェックの生地をもらうと嬉しくて嬉しくて、それが宝物でしたね」
中学生の頃は、デパートの生地売り場が大好きだったと笑うともえさんだ。
「その延長でずっと作り続けていましたね。自宅の二階にアトリエをおいて、見よう見まねで自分の服や夏のカーテン、カーテンの共布でクッションを作ったりそんなことをしていました」
その後、大学を卒業し地元に戻り3年ほど役所関係の仕事を続けた。4年目を前に、ともえさんはずっと好きだったことを仕事にしようと決心する。途絶えることのない作ることへの思いがともえさん自身を励ましてくれた。
「まず、東京の西日暮里の生地屋さんで5万円分の生成りの布を買ってきたんですよ。それを洗濯機で染色してサンプル用に縫ったものを友だちの職場にオーダー表と一緒に持って注文に出向いて、月末になると品物を納めに行く。そんなふうに歩きだしたのが始まりでしたね」
「お天気・屋」に込める思い
「ひとつのことを始めると不思議なもので、助けてあげるよ、という人が回りに集まってくるんですね。情熱が伝わるのでしょうか。魅力的な人にたくさん出会いました。波がウワーッとやってきたという感じかな。何かを始めようと芽吹いた時、回りの人たちに光や栄養を与えてもらったのは思いがけない幸運でした。ありがたかったですね」
流れにのってお店をかまえたのは、ともえさんが27歳の時だ。
天気のいい日は、それだけで幸せな気持ちになる。そんな晴れている気分を売りたくて「お天気・屋」と名付けた。
「心の中がウツウツしていたりドシャブリでも、品物を包んでお渡しした時に晴れている気分になっていただけたら、と思うのです」
お店のマークは、雲のカタチをデザインした。
「お天気だから太陽をイメージしやすいけれど、この雲の影に太陽があるんだよ、という思いを込めました」
今は苦しくてつらいけれどこの次にはきっといいことがある。この先にこの向こうに希望がある。そんな思いが込もるステキなデザインだ。
「生きていると雨が降ったり嵐になったり、そんな時もたびたびあって“晴れ間”を売るはずの私の方が、傘を借りたり雨やどりをさせてもらったりしています」
支えてくれる人たちやお客さま、家族に感謝しています、そう言ってともえさんは、窓の外を見ながら穏やかにほほえんだ。
お天気・屋 2015年6月、閉店しました。
- 〒963-8851 郡山市開成2-2-8
- 024-938-9333
- AM12:30〜PM18:30
- 毎週月曜日
2010.003.04取材 文:kame 撮影:watanabe