郡山全集|支え合う日々
048 鮨家だるま 川又栄三さん、豊子さんご夫妻
鮨種に「ひと手間」を施す、これが江戸前握り鮨の原点
「鮨種に、酢で締める、醤油に漬ける、煮るといったひと手間をかけた仕事を施します」これが江戸前握り鮨の原点だという。
鮨家だるまのご主人である川又栄三さんは、東京での修業時代からずっと江戸前鮨を握り続けている鮨職人だ。
昭和61年8月に独立してお店を持ち、平成4年4月に現在の店舗に移り、今年で23年になる。奥さまの豊子さんとお弟子さんたち、スタッフと共に日々を重ねていく。
一人のお客さんのために
ご主人と奥さまは、お店ではそれぞれ「親方、おかみさん」と呼ばれている。「お店の名前は親方がつけたんですよ」とおかみさん。大衆店に多く、専門店にないものにしたのだという。
「東京は浅草で7年間、住み込みで修業しました。そのときのニックネームがタカモリとダルマでした」
眉が太く濃く、西郷隆盛や達磨を思わせる顔つきで、笑うと表情がふっと柔らかくなる。親方の顔を見ただけで合点がいく店の名前だ。
おかみさんは、東京は浅草の出身。大手ホテルのお寿司屋さんで働いていた時に同じ職場で活躍しているご主人と出会った。その後まもなく一緒になりましたと明るく笑う。
「そのうちに子供たちも生まれ、二人で小さいお店をやりたいと話すようになってね。お金はあまりないし食べていけるか心配でしたが、一軒家で二階に子供を寝かせながら出来る所を探しました」
二本松市出身の親方と江戸っ子のおかみさんは、地方都市で新幹線が停まる郡山の地を選んだ。
「子供をおんぶしながら仕事をしました。子供は3人いるのですが、当時はまだ2人で、3歳のお姉ちゃんが4ヶ月の弟にミルクを飲ませてくれたり。そのうちに長男もあまり泣かなくなってね。お店を中心に生活してましたね」
365日、休みのない日々だったという。お店は繁盛した。夕方5時に開店、5時半を過ぎる頃にはもう小さい店はお客さんでいっぱいになった。
「ある日、お客さんに言われたんです。7回来たけれど7回とも断られたよって。それを笑いながら明るく言われたので胸にずっしりと応えたんですね」
一人のお客さんの言葉が今の場所に移るきっかけになり、広い店を持ちたいという願いが生まれたという。
一人のお客さんのために、目の前の仕事をひとつひとつやりとげていく。一時間であったり一日であったり、それが一ヶ月一年と積み重なっていくと親方は言う。
誰にでも親方はいる
「自分は野球少年でプロになりたかった。学生時代は朝から晩まで練習の毎日。あいさつ、時間の使い方、最後までやり通すことを学びましたね。学生時代の過ごし方は大切です。社会に出たときにつながる。修業時代は調理場の板の間に布団を敷いて眠ったこともある。みんなが夜逃げしていく中で自分は大変だと思う前に、回りの人にめんどうをみてもらい、育てられていることを実感していました。今、思うのは誰にでも親方はいるということ。自分ではできないことを回りの人に育ててもらっていることに気づくかどうか、なんですね」
嬉しいささやかな繋がり
カウンター席に座り、板さんと会話をするのも鮨屋さんへ行く楽しみのひとつだ。
「旨い鮨を食べようと思ったら、気持ちよく握ってもらうことも大切ですね」ひと昔前は、板さんとの話の中でいかに美味しいものを出してくれるかは、お客さん次第だったという。
「おもしろい話をしてお客さんが板さんを接客したんですね。職人も人間ですからね、決して握りが雑になるわけではないのですが、意気込みが違ってきますでしょう」
昔の話ですが、板さんとお客さんの粋な掛け合い、やりとりには色がありましたね、とおかみさんが小さく微笑んだ。
「ご夫婦でお見えになるお客さんの中に、ちょっとお互いの会話がぎくしゃくしてくると、そろそろお鮨を食べにだるまへ行きましょう、とお出でになる方がおられるのですよ」
ご主人は親方と、奥様はおかみさんと心ゆくまで会話を楽しむのだという。帰る頃にはお互いに晴れ晴れとした顔になり、仲良く帰っていくという。そんなささやかな繋がりがとても嬉しいとおかみさんは言う。
鮨家だるまには、姉妹店のお鮨屋さんと洋食レストランのお店がファミリーとしてある。
「だるまファミリーと呼んでいるんですよ。二人で始めたお店も大勢のスタッフに囲まれてにぎやかになりました。縁の下の力持ちもいっぱいおります。先の見えないご時世ですが、お客さま共々支え合って歩いて行きたいですね」
そう話してくれた親方とおかみさん、これかからもお身体を大切にお過ごしください。ありがとうございました。
鮨家だるま
- 郡山市細沼町8-18
- 024-939-0818 024-939-0820
- 月曜日
- 20台
2009.04.24取材 文:kame 撮影:watanabe