
100-FUKUSHIMA vol.088
あだたら高原美術館 青-ao- 渡辺武郎さん
緑の中の小さな美術館
福島市の土湯温泉から郡山に向かう県道30号本宮土湯温泉線沿いに、その看板がある。
あだたら高原美術館 青 -ao-。
その少し先に、「P」と描かれた小さな看板。
林の中、原っぱのようなスペースに車を停め、降りて辺りを見回すと人ひとりが通れるほどの小径が木々の間を縫い、木造の美術館へとつながる。
「小さな看板だと、来られる方にもよく言われながら、立てたまま手をつけずにきました。『あだたら高原美術館』とすると、おおげさな美術館だと思われるのですが、ここは販売を行っていないのと、自宅の一角でもあるためひかえめにしているのです」
安達太良山のふもと、緑の中に佇む、あだたら高原美術館 青 -ao-は、2001年に開館した小さな私立の美術館だ。


地元で作品を発表して、交流ができる場所を
「ここに越してから、毎朝起きた時、朝の光とともに鳥の声が聴こえて気持ちがいい。リスや野うさぎ、カモシカが現れたこともあるんですよ」
あだたら高原美術館 青 -ao-の渡辺武郎さん、永子さんご夫妻。
今から25年前、郡山市で中学の美術教員をしていた渡辺武郎さんと郡山聾学校の美術教員だった永子さんのご夫妻は、退職後の2001年に二本松市馬場平に住まいを移しました。ご自身たちの作家活動の場、訪れる方々との交流の場として、ご自宅の一角を展示室にした小さな美術館を構え、武郎さんはCGを中心に、永子さんは木版画の創作活動を続けています。
「教師をしている時、美術教師は教えるだけでなく、教えていくためにも自分が表現の活動をすることが大切なことだと先輩たちからの助言がありました。それから、教師をしながら、自分でも作品を作り、東京で発表をするという生活になり、それが今も続いています」
武郎さんは50歳になったとき、作家活動を自由にやるための場所を考え始めました。
「退職まであと10年になったとき、あと10年しかないと思い、このままここにいてもいいのかと考え始めました。私も家内も教員時代のほとんどを郡山で過ごし、子どもたちも学校に通わせました。便利で、ささやかなアトリエもありましたが、そのうち、子どもたちが家を離れた後はつまらないかな、それなら自由に活動ができ、発表したり作家同士や一般の方が集まれる場所があったらいい、そう思いました」
油絵から始まった武郎さんの創作は、年齢を重ねるごとに表現が変わり、当時は木材など素材そのものを扱った立体の制作を行っていたことで、音の問題から住宅地よりもよい環境で制作できる場所を考えていたといいます。
県内をあちこち探し、いくつもあった候補地から、ちょうど売りに出されていた山林、土湯から郡山に抜ける通りのこの場所が見つかりました。
「作品の発表はいつも東京で、作家として東京で発表しなければという気持ちもありましたが、ギャラリーを借りるには資金が必要で、ゆったりと来場者と話をするスペースがありませんでした。仕事をやめた後は、孤立した生活になるかもしれない、けれど自分たちのような作家の発表の場があって、ここに訪れる方と交流が持てるようになったら、この先の自分の勉強にもなるだろう、それがここに越してきた一番の目的でした」
武郎さんは、現在の二本松市の南東部、旧岩代町の中心地であった小浜町のご出身。永子さんもまた現在二本松市となった旧東和町のご出身です。
おふたりの地元に近く、まだ住宅が少なかったこの地域は、福島と郡山のちょうど間にあり、緑の林の中に住むということが憧れだったと話します。

作家の発表の場所をつくることを目的とした、あだたら高原美術館 青 -ao-は、入場料が無料です。2階が展覧会希望者による企画展示室、階下の1階は県内作家の作品を中心とした常設展示室があります。だれでも自由に美術やアート作品を鑑賞することができ、語らいの場として談話室を設けています。
「美術館として運営を始めた頃は、私自身も含め美術活動が盛んな時期でした。東京のギャラリーや作家とのつながりもあり、県内外で美術に関わる方々が多く来られました。ここでは、発表者の休養と訪問者が来やすい日程を選べるよう、金曜、土曜、日曜、次の金曜、土曜、日曜の2週間に渡って、6日間の会期を基本にしています。開館から5年ほどはとても忙しく、年間17会期は開催して、次の年も予約でいっぱいになっていました。教員時代も忙しく働いていましたが、退職したという感覚もないままに、美術館として運営が始まっていました」
美術館の運営が始まると、美術館のホームページを開設して展示作品の資料や情報の発信、企画展のお知らせに印刷物を作るなど、教員時代よりも忙しくなっていきました。
「短い会期の企画展はとても大変でしたが、それだけ要望があり、美術に関わる人たちとのつながりが広がっていきました」

若さや未熟さ、そして可能性がある「青」
「この美術館の『青』は、青年の『青』です。自分たちも年をとってもずっと若い気持ちでいたいと思い、付けました。青春映画の『青い山脈』、ピカソがパリで活動していたグループの『青騎士』、石原慎太郎の『青嵐会』など、若さや未熟さ、そして可能性があるという『青』です。これまでの美術館の活動で柱になったのは、開館2年目の2002年から2021年まで続いた『福島青年美術の展望展』です」
武郎さんが「青年展」と呼ぶ、福島青年美術の展望展は、県内在住の40歳未満の作家による作品展です。開催には毎年、岳温泉観光協会や協同組合、二本松市の教育委員会、地元新聞社の協力がありました。展示作品は、絵画、版画、彫刻などの分野から武郎さんが選出し、第一回は20名の作品が並びました。
「自分たちが若かった頃は、地元で発表する場所がなかったこともあり、作家個人の活動だけでなく、展示する側から企画して発表する場所を用意したいと思いました。第一回目から作家たちや県内の美術館関係者の間で反響があり、県内の作家たちの状況を知る機会にもなりました。作家たちの間では、どうして自分は選ばれなかったのかという声もあったことから、翌年から出展数を増やして作品を展示することになりました」
多くの作品の中から、青年展への選出には、どのような基準があったのかと尋ねると、武郎さんは少し唸りました。
「長年美術に携わり、見ればわかる。それはあくまでも私の基準で、通俗的な上手い下手はあっても、それが作品を選ぶ理由にはなりませんし、しません。本来、美術やアートの作品は個々の表現であり、それぞれががんばることで独自性をもつことが大切なんです。他の作品と比べて優劣をつけることは難しく、これはだめだと今の時点で切り捨てることもまた危険なことです。これからどんなふうに伸びていくのか、青年たちにとっては、今は一番だめなところがこれからどんどん良くなっていくこともありますから。それは発表をしながら自身で気づいて、自分の個性にしていくものです。意欲を持って広く一生懸命制作している、そんな作品を選んで、どんどん変わっていく作家たちを見ていました」
福島青年美術の展望展では、若い作家、美術関係者たちがつながりを持つことができ、ここからまた新しい作品展が企画されていきました。
「第一回に参加した作家たちも、60歳を過ぎたころでしょうか。その後、制作を続ける人もいれば、現在はデジタルのイラストで挿絵画家として活躍している方もいます。要望にも応えながら描いているのでしょう。彼女は青年展で油絵を発表していて、とてもいい絵を描いていました」
青年展では毎年、作家、美術関係者、協力する団体や来賓、そして一般の参加者も交えた懇親会が開催されていました。展示室を会場に、作品展に関わる人たちみんなで食事をともにする、夜中まで続くにぎやかな夜だったと振り返ります。

わくわくとした気持ちをつづけて
「2018年に開催された『Play in あだたら』は、室内の展示はもちろん敷地全体を会場に使って、作品展と作家たちとの交流に芋煮会を開催しました。展示のために林を整備するボランティアには知り合いから紹介してもらった、郡山に研修生として来日しているベトナムの方達もいました。木々の中でのインスタレーションや地元の高校生にも作品を作ってもらいました」
夏の終わりから秋にかけて開催された、Play in あだたらの記録冊子の表紙には、「安達太良に集い、たのしさを共有しよう」とあります。
あだたら高原美術館 青 -ao-で、美術を通して県内外の年代も国も異なるひとたちが集まり、遊んだ記録です。
「ここで展示が始まる度、届く作品にはわくわくとした気持ちになります。今は長くこの美術館をつづけたい、来られる方にもここで遊んでもらえたらと思います」
常設展を案内してくれた永子さんは、そう話されます。
現在、武郎さんは86歳。80歳を過ぎた頃に体調を崩し、美術館の活動もゆるやかになりました。
今年は少しがんばろうと思いますと手渡された今年の展覧会スケジュール。6月中旬から12月まで平面、彫刻、陶芸など作品展が続きます。



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あだたら高原美術館 青 -ao-
〒964-0055 福島県二本松市馬場平194-1
Tel.0243-61-1312
開 館 4月〜12月 金・土・日 10:00 – 18:00
休館日 月・火・水・木、1月〜3月