100年ふくしま。

vol.087 布もの仕立て 永瀬愛子さん

2025/05/09
vol.087 布もの仕立て 永瀬愛子さん

100-FUKUSHIMA vol.087

布もの仕立て 永瀬愛子さん

この布から、よいものになる

小さなうつわが薄い布の中にぴたりと収まっていた。
胴に添うように縫われた袋の口を締めると、結ばれた紐先が真上に立つ。
袋ごと手に取り、紐を解いて、うつわを取り出し、また入れ直して、口を結ぶ。
何度となく、繰り返してみたくなる。
「古くなったものや布にも、いいものがあり、こんなことができるということをつないでいけたらいいなと思っています」
布ものの仕立てをする永瀬愛子さん。鏡石町のご自宅のとなりにある蔵が作業場だ。

087ポジャギ
永瀬愛子さん
1階の作業場にて。2階にはご自身が好きで昔から集めていたという古い布のストックと機織り機がある。

永瀬さんはご自身の仕事を「布もの仕立て」といいます。
「私自身がデザインして作るのではなく、お客さんの希望を聞きながら仕立てるというのが、ここ何年かの仕事になっています。カーテンや間仕切りには、韓国のポジャギのように、小さな布をつないで一枚に仕立てることがあります」
一般の方、個人店、住宅メーカーのお客様から、衣類やインテリアなど、ミシンが使える布ものの依頼を受けています。その仕事には、新しい布はもちろん、ご自身が買い集めてきた古布が用いられることがあります。
「少し前にあったご依頼には、古い着物を買ったので、ワンピースに仕立ててほしいというものでした。着物でお預かりした場合は、解いて洗いをかけて仕立てていきます。服の仕立てには、お客さんがお持ちの服と同じ形にしてほしいというものもあり、その際は元になる服をお預かりして型をとって仕立てていきます。住宅メーカーさんからあった小窓用のカーテンのご依頼には、他の窓に使ったカーテンの端切れを使って仕立てました」
永瀬さんは、物心がつく頃から、いつもまわりに仕立ての仕事や手芸をする人たちがいたといいます。
「子どもの頃、近所に骨董屋があり、そこで古い布や着物を眺めるのが好きでした。お小遣いで帯を買ってみたり、今思えばとても好きだったんだなと思います。おばあちゃんもよく縫い物をしていて、裁縫箱をのぞいたり、布がたくさん入ったブリキ缶を開けるときの興奮もいまだに覚えています」
高校卒業後は、まわりからの勧めで服飾の専門学校へ進学。なんとなく行った学校で、ぴたりとこの世界は楽しいという感覚があったと振り返ります。
「それまで何かを作りたいとやっていたわけではないのですが、友だちの誕生日プレゼントに自分で作ったものを贈ったり、洋服のリメイクをやっていました」
学校ではデザイン科を専攻し、技術面ではひととおりの縫製の流れを経験、当時はまだ仕立てる技術はなかったと話します。
学生時代に通っていたセレクトショップで、ヨーロッパのような雰囲気を持ったバッグに惹かれ、卒業後にそのバッグ作家の元で働き始めます。
「作った人に会ってみたくなり、値札にあった連絡先に電話をしました。こんな電話は初めてもらったと、面白がってもらい、遊びにおいでと言われて、そのまま住み込みで働くことになりました」
当時、出産を終えたばかりの作家の元で、制作に携わることは難しく、自分も若かったと話します。その後、帰郷した永瀬さんは、骨董店の仕事に就きました。
「地元の骨董店をのぞくようになり、お店の方に声をかけてもらいました。古道具などの仕入れや販売を手伝い、ハイエースに乗って県外の市場について行ったりしました。今の蔵に置いているものにもつながっています。自分の経歴から店でもやりたかったという、古布や着物などのリフォームやリメイクを勧められて始まりました。使う着物から私がデザインをして、ストールやバッグは自分で仕立て、その他の縫製はできる方に外注していました」
骨董店でさまざまな経験をした4年間。結婚、出産を機に、ご自宅で子育てをしながら縫製の仕事に携わることになります。
「家族につながりのあった須賀川の婦人服のオーダー店から内職を受ける仕事が長く続きました。家で仕事をして、わからないことがあれば店に行って教えてもらい、そうして婦人服の仕立てを学びました。教えてくれていた方が震災のあとに引っ越してしまったのですが、とても貴重な時間でした。離婚をしてシングルの時期には、生計を立てるために内職をしながら縫製工場に勤めていたこともあります。その頃からイベントに出店することを始めました」

作業場の様子

友人の誘いで、初めてイベントに出店したのは、2015年〜2016年の月に一度、郡山市安積町にある「アートスペース傘」で開催されていたイベント「ウワサノマチ」。ここで、ご自身の作品と古道具を並べました。
「それまではお客さんからのオーダーで作っていましたが、自分で作ってみたいと思うものを作り始めた時期でした。イベントに出店するようになって、いろんな方がどこかで見てくださっていて、しばらくしてからも声をかけてもらうことがありました」
東京のイベントに参加した時には、手に取りやすいブローチなどの小物を多く準備したものの、一、二着ばかり仕立てた服の方がすぐに売れてしまい、もっと服を見せて欲しいというリクエストがあり、これまでとは違う客層に出会ったと話します。
永瀬さんは、ご家族との時間を持つため、週末のイベント出店から離れることになりますが、その後も自身の興味と仕立てることに携わり続けています。

作業場にて

出会ったものを活かして、また暮らしの布ものへ

「子どもの頃から好きで眺めていた布でしたが、ずっとハサミを入れられずにいました。もっと上手に縫えるようになってから、と思っていましたが、このままだといけないと思い、最近やっと決心がついて、何かにしてみようと思うようになりました。古布は一度着古しているため、どうしても弱く、ミシンに負けてしまったり、服に仕立ててもほつれが早く、日常使いにも気を使ってしまうことがあります。力があると感じる布はできるだけそのままに、弱くなってしまった布には、負担の少ない仕立てを考えたりします。古く弱くなった布を活かすことを考えていたとき、青森の作家さんが作った裂織バッグに出会いました。しっかりとした織で、ゆくゆくは着物や古布をこんなふうに活したいと思いました」
裂織は布を裂いて糸状にし、それを織り込んで新たな生地を作る技法で、江戸時代頃に盛んに作られたと言われています。永瀬さんは、裂織についてまずは知り合いに尋ね、その後、川俣町のからりこ館へ織り方を習いに行ったところ、整経がとても重要で難易度が高い工程だと知りました。
「ひとりでは難しい工程でも、自分と同じように古い着物を活かしたいと思う方々が集まって、ほどく作業から、みんなで力を合わせるならできるかもしれません。韓国のポジャギも布が小さくなっても大切に端切れをつないで一枚に再生させるように、裂織にすればほろほろしてしまう布も織ることで強く再生させ、そうして布そのものを作ることが目標です」
しっかりとした厚みで不規則な縞模様の裂織バッグ。糸にする布の素材や色によって、織り上がりの風合いや模様はただひとつのものになります。
「ポジャギや裂織のように、素材から作ってみたいと思っていて、自分としては布全体に柄を描いているようなイメージです」
まだ技術が未熟で制作時間もかかるけれど、自分で作るならと見せていただいたのは、山葡萄のかごに布をつけた巾着と仕覆。永瀬さんが手間暇かけて作った暮らしの道具たちでした。
「三島町で盛んな山葡萄のかごを使ってみたくて作ったものです。仕覆もずっと作ってみたかったもので、茶碗のサイズに合わせるので、手縫いでミリ単位の調整をしながら縫っていきます。底の部分に和紙を貼ることで全体が安定します」
永瀬さんが、その土地のものを作ってみたいと始めたのは、会津地方で愛用されていた作業着「さるっぱかま」の制作。古いさるっぱかまを集め、型におこしていきました。現在は注文を受けて制作をしており、この日の作業場には、ご自身が「着古した」と言う愛用のさるっぱかまがありました。

仕立てたエプロン
隣り合っていた布を解かずそのまま前掛け部分にしたエプロン

いいなと思うものをつないで、残していく

「私が子どもの頃に通っていたような骨董店なども減ってきました。自分が古布が好きだったこと、古道具への愛着もあり、そうしたものを孫の代にも見せる機会を残していきたいと思ってます。放っておけばただ朽ちていくものも、修理をしたり、ほかのものと組み合わせると面白さがあって、まだまだ使えるものになります。昨年の春から、作業場の蔵を解放する日をつくったのも、そんな意味合いがありました。なんとなく立ち寄った人が、古いものにもいいものがあること、ここで見かけたものを頭の片隅に置いてもらって、家にあるものもこんな風にすれば、こう飾るとすてきになると思ってもらえたらいいなと思います」
永瀬さんが昨年の4月から始めた「クラの日」は、ご自身や友人たちとの作品と古い家具が並びました。臼で作られた椅子やばらになっていたテーブルの脚と節目がある分厚い一枚板を合わせたテーブルなど、もとの役目を終えたものたちに修繕と加工が施され、ただひとつの家具となって、訪れる人に小さな驚きと発見をもたらしました。
残念ながら、「クラの日」は今年4月に最終回を迎えました。
再婚をして、二人目のお子さんはまだ小さく、子育てをしながら、これからも活動を続けていくためのお休みです。
「自分が以前に縫ったものを見ると、とても細かく頑丈に縫っていて、自分で修理をするのも難しかったりします。直しの仕事を経験した今は、長く使ってもらいたいので、この先で直していくことを考えた仕立てをするようになりました。経験しながら、その時の縫い方や作り方があるのだと思っています」
撮影の途中、これからどのくらいこの仕事を続けられるものだろうかという話に、返ってきた答え。
長閑な町でご家族と暮らしながら、しなやかに、永瀬さんの手仕事が続けられていきます。

裂織バッグと
永瀬さんが出会った裂織バッグと

– – –
布もの仕立て 永瀬愛子
instagram:@aiko_nagase

2025.03.28 取材
文:yanai 写真:BUN

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