100-FUKUSHIMA Vol.032
桑原コンクリート工業 桒原義昌さん
クワコンさん
田村市船引町に「クワコンさん」と呼ばれる会社があります。
「この地域には、コンクリート会社だけど、それだけではない『クワコンさん』がある。地域の人に、そう言ってもらえる会社にしたかったのです」
昭和49年創業、製品コンクリート・生コンクリート両方の製造行う、株式会社桑原コンクリート工業。
二代目になる代表取締役社長の桒原義昌さんは、地域の困りごと、頼まれごとに積極的に向き合っています。
「頼まれごとは試されごと。できるかどうかよりも、まずはやってみる。どうしたらできるか考えることで、今よりレベルを上げることができるはずだと思っています。」
例えば、お祭りで人手がないなら参加する。場所や機材がないなら工場の敷地、機材を貸す。震災後、地元のためにと東京から帰省した妹さんが美容室を、また、お母様が夢であったカフェを開業することになり、桒原さんはそのための建物を会社近くに新築、賃貸にしました。そこは、お盆の帰省でひと息つく頃、アコースティックライブの会場になり、毎年百人以上が集っています。
「地域の会社である以上、地域貢献は当然のこと。私が好きだというのもありますが、ここで何かをやろうとする人の心意気に惚れて、自分もできるだけ力を貸そうと思うのです」
おはようございます、新聞です。
「子どもの頃、両親が共働きで、家の炊事場に立つのは、手の空いた者。その時から自分で食事を作るのは自然なことでした」
寿司職人になりたいと思っていた高校生の頃。卒業を前にして、お父様が決めてきた修業先は、当時の桑原コンクリート工業の親会社でした。
「それでもいつかは料理をやれるだろうと思っていましたが、会社の仕事をするうちに、こちらの方が楽しくなっていきました。アパート生活での自炊も全く苦になりませんでしたね。今も姪っ子が料理を習いに来たり、クリスマスならビーフシチューを1週間かけて作ったり、鍋奉行にもなります。まあ、無人島に行っても暮らせる自信はありますよ」
そう豪快に笑う桒原さんは、お父様の教育で感謝していることが、もうひとつあるといいます。
「私が小学校4年生の時、同じ地域の中学3年生の子が、百何十軒の家に、新聞配達をしていたのですが、ある時、親父がその仕事をうちの息子に譲ってやってほしいと頼みに行ったんです。中学卒業もあって、その子は快諾。4年の終わりから、私が新聞配達を請け負うことになりました。」
部活動にも励みながら、新聞配達のために毎朝5時半に起床。広告の折込みも自分でやり、月2万弱のお給料。そのうち、自分のおこづかいとして月3000円を手にしました。
「嫌々ながら、『新聞配達をすれば、欲しい自転車も自分で買えるぞ』と親父に言われ、納得してしまいました。毎朝『おはようございます、新聞です』とやっている間に、地域の人との関わりができていったんですね。いまだに、じいちゃん、ばあちゃんからは『昔、新聞配達やっていた子だない』と言われます。高校生になっても、就職して地元に帰ってからも、年代の違うひとに声をかけられていますね」
新聞配達から始まる、桒原少年の一日はいつもフル回転。徹底してやらないと気が済まないのは、この頃からだといいます。
「新聞の種類を間違えて、悔しくて焦って、泣きながら戻り、もうわからなくなって、最後のお届けの家の方に『いいんだよ』となぐさめてもらったり。そんなこともあって、配達先の家から夏にはスイカ、正月にお年玉を頂いたりして、地域の人に可愛がってもらいました。大人になって地元青年部に所属したことで、子ども頃お世話になった人たちのためにできることを、ずっと考えてきましたね。」
神棚の榊を枯らさない。
これをやるぞと決めたことは、不得意でも続けていれば習慣になって自信になっていく。
桒原さんは、毎年お正月に、目標として書き続けています。
そのきっかけを作ったのは、社長室にある神棚をお父様から任されたことでした。
「20代後半から、親父に神棚の管理を任されました。毎年12月27日に榊を替え、古いものもとっておく。毎日水を取り替え、薄皮をむいて、夏はエアコンで温度管理をしています。」
若い頃は面倒で、数日に一度、水を替えるくらい。枯らしてはお父様に怒られ、それでも数年経った頃に、榊の変化に気づき始めます。
「いつまで持つかなと、一週間が三週間、一カ月と枯れなくなり、やっているうちに、これだけは譲れないというくらいに、神様に対する気持ちも変わっていきました。水を替えなかった時に限って、工場でケガがあったりします。葉がぽろぽろ落ちるときには、なにか身代わりになってくれたのかもしれないと思うようになり、今では自分が神棚をおろそかにすることで、うまくいかないことがあるのではないかと思い、絶対に榊を枯らさないと決めています。」
震災の時には、だれもケガがなく、社員も「うちの会社は守られている」と口に出すほど。
この会社は神様に守られ、いいときも悪いときもあるのは仕方のないこと。何事もなく商売をやっていられるのは、神様のおかげだと桒原さんは受け取っています。
毎朝のあいさつは、「いつもお守り頂き、ありがとうございます。本日もよろしくお願いいたします」と手を合わせます。
なにかとなにかを組み合わせて
「なにかやろうとするときには必ず、テーマがなくちゃいけない」
これまで多くの活動に尽力して、自分でも考えたりする中で決めているのは、みんなが視線を定めて向かっていけるテーマを持つことが大切だと、桒原さんは考えています。
自分も仲間も納得するテーマが決まれば、マイナス面もカバーしながら、どんな方法でやっていけば良いのか考えることができます。
桒原さんは、自身の活動をブログに綴り、その度に、コメントが寄せられ、次のつながりになっていくなど、周囲の反響がしっかりと届けられるのには、桒原さんのシンプルな考えに基づいた行動にあるのかもしれません。
「私はよくお店で売られているモノが、どうやって作られているのかを考えるんです。仕事や休日のものづくり、イベントでも、なにかとなにかを組み合わせて、新しいものにならないか考えるのが楽しいんです」
自信を持って、楽しく働く
「地域のためにも、まずは働く人に充実感を持ってもらいたいと思っています」
例えば、仕事終わりに使うシャワールームを完備する、毎日着るユニフォームは、普段着にもなるようなデニム調のかっこいいデザインにするなど、土建関係は3Kが揃うと言われてきた中、社員に若手が増えてきたところで、桒原さんご自身が若い時にこうだったら良かったなと思うことを社内整備に取り入れてきました。
「一生懸命やる子たちが可愛く、自分もしっかり面倒を見なければと思います。ここで働く人に、この会社に勤めて良かった、そう思われた時、初めて世間から信頼が生まれるのだと思っています」
地域の人たちに可愛がられて育った桒原さんもまた、この町で若い人たちを、地域を育んでいます。
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株式会社桑原コンクリート工業
〒963-4204 田村市船引町堀越字新田236
024-85-2155
2018.06.28取材
文:yanai 写真:BUN