100年ふくしま。

vol.020 玄侑宗久さん【前編】

2017/11/02

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100-FUKUSHIMA Vol.020

玄侑宗久さん

福島に生まれ育ったから、今もここに暮らしている。
それだけのはずが、震災を機に福島は、なにか特別なものになってしまったと思う。
しょっちゅう目にするようになった「福島」によって違和感がでてきた。
この感覚を、はっきりと説明することができないのがまたもどかしい。
自分以外の「福島」がどんなものか確かめてみようと、思い切って玄侑さんに連絡をとったのは、今年の夏のこと。
突然の不躾なお願いにもかかわらず、早くに連絡を返して頂いた。
そして秋。緊張と期待を込めて、玄侑さんがいる三春町の臨済宗妙心寺派福聚寺を訪ねることになった。
細い坂道を登ったところに、福聚寺がある。
福聚寺の住職で芥川賞作家の玄侑宗久さん。
これまで小説というかたちで多くの「福島」を表現してきた人だ。
私たちは福聚寺本堂で、お話しを伺った。前半をvol.020、後半をvol.021として掲載します。

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撮影:白岩大和

その個別性に目を向けたい

震災前は、福島に住みながらも、福島県人であるという意識は強く思っていなかったと、玄侑さんは良く通る声で話し始めた。
「震災から6年半。これまで様々な変遷があったと思います。それが福島県人だなと思うことが震災後の3年4年くらいまで強まり、またもう一回薄れつつある。震災によって起こった出来事をみんな一律に考えようとしていますね。例えば、晩年ここで死んでいこうと考えていた人が避難を余儀なくされたこと、生まれて間もなくハイハイから歩くところまで仮設住宅で過ごしたという子ども、好きな子がいて、それが頭を大きく占めている若者、それぞれにとっての震災の出来事は全く異なる、みんな個別です。私は小説を書く立場で、その個別性に目を向けたいと思うんです。どんどんその個別性に踏み込んでいったときに、なにか普遍が立ち上がってくる。そういうことが有り難いと思っています」
「福島は被害者だ」という意識が強かった震災後の2013年に発表した小説「光の山」。
そこに納められている短編「東天紅」に震災におけるある夫婦の「個別の事情」が描かれている。
東天紅:妻の介護のため、原発から10km圏内の自宅から避難できず、そこに暮らし続ける夫婦の物語。
妻との生活のために改造した家で、ふたりがちょっと変わった死に方をするまでを描いた。

「あんな原発事故がこんなふうに影響した人もいるんだ、みんな違うのかもしれないという見方を喚起したかったんです」

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玄侑宗久さん。震災の行方不明者が今でも約2500人もいることに、ご家族のプライドのようなものを感じるという。

福島だったおかげで

玄侑さんは最近書き終えたばかりだという小説の話しをしてくれた。
震災後、縁があって福島の竹藪に囲まれた竹林寺に入ることになった若いお坊さんのお話だ。
津波で両親を失い、出家してお坊さんになった主人公は、同じく、震災をきっかけに大学時代から好きだった女の子との連絡が再開する。
「竹林精舎は、お釈迦様が最初に作った寺で仏教寺院のはじまりのお寺。彼にとっても竹林寺ははじまりのお寺なのです」
放射線量が高い竹林を整備しながら、そこで暮らしていこうとするところに主人公の覚悟がうかがえる。
「主人公にとっては、恋愛の問題、彼女とのことの方が原発事故よりも大きな問題なんです。人の暮らしには、そういうことが普通だと思うんです。けれどそういう問題をみんな切り捨てて、誰にもないような共通的なフィクションが語られる。そうした事情が語られると、放射能の問題も色合いが変わるんです。非常に過剰な怯えを煽る人達がいましたね、それに対して、ひとつのはっきりした設定の中で物申していこうと思うのです」
決して比較はできないけれど、自分にとって大事な問題というのは、それぞれにあるはずだという。
「生きていくことには、逆境が必要なときがある。穏やかに凪いでいるだけではだめなんです。福島県は放射能があって危ないという噂があるところに、気になっている男の子、女の子がいるということが恋愛をむしろ進めてくれる可能性がある。嵐も乗り越えて、自分は進んでいく、鼓舞するような気分というのが起こってくる。そういうことが書きたかった。福島であったおかげで成就する恋愛もある。福島であったおかげで、起こることはもっともっとあるはずです」
それは、ある種の賭けみたいなものだともいう。
「低線量の放射能も身体にいいのか悪いのかよくわからない、専門家さえ意見が分かれています。大部分の人はそう思っていないけれど、もしかするといいのかも知れない。だから今の福島の状況は非常に鼓舞する。作品で言えば大事な人、彼や彼女が一緒にいるんだからいいじゃないか。それはきっとこれまで動かなかったことを促していく、そう思います」
来年1月出版予定の次回作「竹林精舎」には、今の玄侑さんが見ているふくしまが象徴されている。
福島が「鼓舞する」とは、なんといい言葉だろう。

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福聚寺
〒963-7767福島県田村郡三春町御免町194

vol.021 玄侑宗久さん【後編】へ 

2017.10.10取材
文:yanai 撮影:BUN 白岩大和

One thought on “vol.020 玄侑宗久さん【前編】

  1. 玄侑宗久さんのインタビュー記事について私が管理しているサイトにおいて告知をさせていただきました。併せてリンクも貼らせていただきました。宜しくお願いいたします。

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