郡山全集|郡山のアーティスト
008 清水兼一
Kenichi Shimizu
会津若松出身、1973年2月生まれ
清水兼一の魅力
のびのある声とまっすぐなまなざし。清水兼一の魅力は、その声と目だ。正統で素直な声質は、彼の奏でる切れのあるギターのリズムに溶けこみ、強くのびかやかに変化していく。
清水のライブはエネルギッシュだ。全身の思いを歌に込め、その目は一点を見つめる。
夢をあきらめるなと清水は歌う。
弱々しい歌では自分の存在を実感できない。生ぬるい言葉では表現しきれない清水の思いを感じる。
去年12月に開催された「2006ストリートミュージックフェスタIN 郡山まちなか音ステージ」第二回目のグランプリを受賞する。
鼻歌を歌って過ごした子供の頃
こ清水のアルバム「絆」の中にアドリブで入れたという「語り」がある。その中で彼は言う。
「自分には父親も兄弟もいない。父は自分が小さい頃に自らの命を絶った。姉は交通事故で亡くなった。たった一人の家族、母親は自分を産んだあとに難病にかかった。今も病気と戦っている」
口に出すことのなかったことを公にする一人の男の胸の中。そこには今まで自分が生き抜いてきたことへの深い思いがある。
埋まることのない迷子のような寂しさ。浮遊する心をしっかり抱きとめるエネルギーを清水は歌うことで得たのではないか。
音楽への幾度かの挫折はそのたびに側に居る人や自然に支えられる。
オレなどいなくなった方がいいのかな
なぜ弱気になる
一人じゃ何もできない
落ち葉のカサコソという音に耳をかたむけ音楽が生まれ詞が生まれる。
暗闇の中の一点の灯りに、カーテン越しの朝の光に、午後の木漏れ日の中に潜む見失ってはならない大切なもの。清水の歌うバラードには自然への憧憬と人の持つあたたかさへの感謝がある。
「子供の頃はよく鼻歌を歌っていました」清水は穏やかな目で話す。
「日々の生活の中でどうしようもなくやりきれない時、気分を紛らわすために歌っていた」自分の鼻歌に感動したこともあると照れる。
小さい頃から「自立」を強いられた。
「ずっと新聞配達をしていました。給料日は一ヶ月に一度のぜいたくの日。ジャージを着てお金を握りしめ、ステーキを食べにいくんですよ。お店の人にジッと見られたりしました」となつかしそうに笑った。
18歳の頃から、アルバイトで調理師をやりながら音楽活動を始める。25歳の時にはボーカリスト全国大会へ出場したこともある。
何度かの転機の後、現在は調理師を職業にし、週に一度の休みの日に音楽活動を精力的に行っている。
兄貴のような存在
「ボクシングジムに通っていた頃に、滝修行をしたことがあります。雪解けの水に打たれるのです。冷たいってものじゃない。痛いんです。水が身体につき刺さるように痛い」
自分の心と向き合うことの大切さ。滝に打たれることで邪念が流され心の中が見えてくる。行きづまりを克服し自分をリセットする。
「その時、僧侶の身心に神がおりてくるという不思議な現象に出会いました」
芸能で生きることは天職であること。
しかし、夢をつかむまでは壁が何度も立ちふさぐこと。
けれど苦を乗り越え新しい方向性をつかむことができる。
そんな「予言」をされたという。
清水にとって歌うことは「人生そのもの」。清水の生きざまは説得力があり、彼を慕う若いミュージシャンは多い。清水は彼らにとって頼りになる兄貴のような存在なのだろう。そんな彼らに清水は言う。「若いうちはうんと苦労をしろ」と。
清水には夢がある。「店を持ちたい。そこで音楽をやれたらこんなに嬉しいことはない」真っすぐな目でそう言い切った。
2007.01.15 取材 文:kame 撮影:BUN