郡山全集

新かつ 新田和宏さん

2012/10/03

新かつ

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069 新かつ 新田和宏さん

ソースカツ丼の店 新かつ
女の人が一人でも来れるような店にしたい

いわき市四倉町ではカツ丼といったらソースカツ丼が主流だ。昔から四倉町民のソウルフードとして親しまれている。
四倉町で60余年に渡り営業を続けていた老舗のソースカツ丼の店「新かつ」。3.11の震災後、三代目の新田和宏さんが奥さまと二人で郡山市朝日に店を移転し再出発をしている。
店内には静かな音楽が流れ、こじんまりとした居心地のいい空間が広がる。カウンター席に座ると、きれいに整理された調理器具や食器などが目に入った。限られた空間で工夫をしながら店作りをしている店主の心づかいが伝わってくるようだ。
メニューには、ソースカツ丼をメインに工夫をこらした料理が並ぶ。
「カツ丼の店ですが、時々ふらりとコーヒーを飲みに来られるお客さまもおります。女の人が一人でも来れるような店にしたいですね」
新田さんの人柄を感じさせる思いのこもる言葉だ。

01
ご主人の新田和宏さん。
「人ってありがたい。今回の災害時には、東京の大学時代の3人の友人たちもいろいろと支えてくれた。一時は連絡がとれなくて死んだと思ったと言われました」
見栄を張らない。自分を良く見せようとしない。人を裏切らない。新田さんが人とのつき合いの中で大切にしていることです。
02
奥さまの葉子さんが育てている草花。
閉店後には、ひとつひとつお店の中に入れてあげるのだそうです。
0304060708

今を支える人とのつながり

奥さまの葉子さんは郡山市の出身で、ふたりは震災後しばらくの間、葉子さんの実家で過ごしていた。
「四倉の店は、津波が押し寄せて片付けても片付けても海の砂がわいてくる。もう四倉では食べ物の仕事は出来ないとあきらめていました」
新田さんが偶然に古い友人と出会ったのは就職先を探している最中だった。
「どうしてる?これからどうするんだと聞かれ、郡山で就職しようかと思っていることを伝えると、ここで店をやればいいじゃないかと言われました。その言葉が郡山に店を出すきっかけになりました」
それからが速かったという。友人が幾人かの知り合いに声をかけ、その思いはあっという間に広がりひとつの輪になっていく。
「一緒に店舗を探してくれ、知り合いの大工さんに頼み内装をしてもらいました。店の看板はその前にすでに出来上がっていて、見せてもらった時には驚きました。友人から、オレたちの間ではもうやることになっているぞ、と言われ胸が熱くなりました」
友人たちによる「新かつ移転プロジェクトチーム」の思いと行動に支えられ、店は2011年8月22日にオープンした。
「その友人とは23年ぶりの再会でした。実は大学を卒業後、郡山の測量会社に就職しました。その後、会社をやめて飲食関係の仕事に転職し自分の店を出すために修業していました。友人とは郡山に来た時からの付き合いです」

出汁の旨味で酒を飲む

若い頃、宮城県の仙台市で修業した谷田部さんは、出汁の旨味を大事にしている。そんな谷田部さんが、今そっと胸に抱えている思いがある。
「数ヶ月前、原町に帰った時に知り合いの方とお酒を飲む機会がありました。その時に席を同じくした地元のお客さんに言われたんです。正谷は、出汁の旨味で酒を飲める唯一の店だよなあ、スープで酒を飲めるところはそうは無い、と。ああ解ってくれている人がいたんだと思いましたね。これでいいんだ、がんばろうと勇気づけられました」
谷田部さんは、仕事のプロセスの中で自分の作りたいものがイメージできないと料理はつくれないという。
「例えばひとつの料理にとりかかる場合、それに合った食材を選ぶにしても味や香りを頭で想像していくことも大切なことです」
料理人、谷田部正一さんの思いのこもるひとことだ。

料理への思い、父と母への思い

「四倉の店は戦後、じいちゃんが横浜から疎開して始めました。もともとは鮨屋でしたが、田舎では鮨だけではやっていけないので有名だったソースカツ丼や仕出しも始めたようです。」
新田さんには弟が一人いる。忙しい両親に代わっておじいさんが二人のめんどうを見てくれたと話す。
「ばあちゃんは早くに亡くなったので小さい頃からどこへ行くのもじいちゃんと一緒でした。学校へもじいちゃんが来てくれたし、食事は両親が作っていましたが、おまえたち二人はオレが育てたってよく言っていましたね」
正月や夏休みなどは特に忙しく、出前も多くて地元のお客さんに愛される店だった。
店が忙しくても兄弟は手伝いをさせられたことはなかったという。
「母親からは店は継がなくてもいいと言われていました。父親はどこかで継いで欲しい気持ちがあったのかな」
郡山の会社に就職した頃、先輩に連れていってもらったのが魚料理の旨い店だった。その店に足しげく通ううちに新田さんは料理の世界に惹かれていく。
「測量の仕事は好きで選んだ職業でしたが、転職する時は会社をやめることに抵抗はありませんでした。それが何故なのかその時にはわからなかった。両親が店をやっていたからだと後で気づきました。料理をする両親を見ながら育ったからなんでしょうね」
新田さん自身も気づかないうちに培われていた料理への思い、父と母への思いだった。
「四倉へ戻ったのは23年前です。父親の体調が悪くなったのを機に帰ることにしました」

父が守ってくれたもの

3月11日、地震が起きたのは昼時を過ぎ一息ついた頃でした。
四倉の店は、海のすぐ側にありました。
津波警報が出て新田さんたちは避難しましたが、あっという間に波が押し寄せてきたといいます。
「建物は、二階が私たちの住居で一階が店舗でした。一階部分に波が押し寄せて大変なありさまでした」
その状況の中で、新田さんたちはソースの入った容器を見つけます。代々受け継いできたソースカツ丼のタレでした。
「奇跡としかいいようがなかったです。本当に嬉しかったですね」
ご両親の住まいは店から離れた所にあり、幸い津波の被害に合わなくてすみました。
新田さん夫婦が郡山に店を出すまでの間、四倉で暮らすお父さまがソースに火入れをし、ずっと守ってくれたといいます。
「両親はこういう状況の流れですが、仕事を離れてやっと自分の時間、二人の時間が出来てその生活にも少しずつ馴れてきたようです。四倉にはいつ戻るんだ、と会うたびに言われます」
そう話す新田さんの表情にはご両親への感謝の気持ちが浮かんでいました。

ソースカツ丼の店 新かつ

  • 郡山市朝日2-17-23
  • 024-933-8825
  • 11:00〜15:00、17:00〜20:00
  • 日曜日
  • *昼、会食・会合を承ります。

2012.11.27 取材 文:kame 撮影:watanabe

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